なんだそうですよ。夜、スポニチの方からの電話で知りました。ネットのニュースにも出てましたね。ねえ、昨日の続きみたいですね。時の流れを実感する。もうそういう時代じゃないんだなあと思い知らされる、というと大げさでしょうか。
コンサートのメッカ、聖地とか言われてましたけど、民間の施設ですから、赤字が続けば閉園になる。それは資本の論理として仕方ないことではあるんでしょうけどね。ヤマハの本社の方針ということでしょう。とは、言え、ですよね。残念というか、寂しいというか。
ずいぶん行きましたね。リゾートとしてはもちろん、日本の野外コンサート会場としては一番馴染んでいた場所です。75年、85年の拓郎さんのオールナイト、06年の野外イベント。そのための合宿やリハーサル。06年の時は一週間泊まってましたからね。
拓郎さんはもっと感慨深いでしょうね。85年の時とか、一ヶ月くらいこもったこともあったはずですよ。拓郎さんの結婚式もあそこでしょう。公私ともに縁が深かった。ホームタウンという感覚だったんじゃないでしょうか。俺の場所、みたいなね。
僕は、05年からのapbankfesがありました。聖地、メッカという意味ではあれも大きかったですね。12年まで8年間、毎年夏は行ってたことになります。三日間ありましたからね。あそこに行かないと夏が来た感じがしなかった。
apbankfesは、”楽しむこと”と”考えること”が一致していた、画期的な野外フェスでした。今年は石巻でしたけど、それまでは、「つま恋」だから出来たイベントでした。多目的広場だけでなく、自然と一体になった広大な敷地。音楽を楽しむことと環境を考えることが一体になってました。
園内に宿泊施設もある。朝まで打ち上げも出来る(笑)。apbank fesをやらなくなったことが、経営不振につながったという因果関係はあったのかな。三日間連日2万8千人を集めるイベントなんてそうそうないですから。だとしたら、皮肉でもありますね。
05年にapbank fesで行った時に、75年、85年に比べて、多目的広場の様相がずいぶん変わったなあと思ったんですよ。狭くなった気がした。樹が伸びてたんですよ。75年は、開園したばっかりで、植木が生えそろっていなかった。それが成長して、その分、狭く感じた。
そうだ、植樹とかしてましたよね。あの樹はどうなるんだろう。閉園後の形態とかにもよるんでしょうか。今年一杯ということですけど、解散ライブ、みたいなことは、何か、やるんでしょうか。あのレストランに飾ってあった75年と85年の拓郎さんの写真はどこへ行くんでしょう。
そんなことも追々、探ってみようと思います。拓郎さん、今年のツアーで何か触れるんでしょうか。ということで、時の流れをひしひしと。曲ですね。75年の「つま恋」の一曲目「ああ、青春」を。じゃ、お休みなさい。