そうなんですよ、明日。FM COCOLO「LEGEND FORUM」のインタビュー。3月は女性月間。「レデイースロック・ガールズレボリューション」という一ヶ月の最後。カルメン・マキさん、寺田恵子さん、白井貴子さんと続いた中での大トリであります。
デビュー47年のマキさんは70年代、80年代。去年が30周年の寺田恵子さんは、80年代、90年代、そして現在進行形のレデイス・バンドの代表。今年35周年の白井さんは、80年代と今。商業的なガールズロックから地に足のついた音楽人生へというお話。そして、最後は黛ジュンさん。60年代ですね。
何を隠そう、と言って隠すつもりは毛頭ないですけど、当時、好きだったんですよ。67、68,69年の約3年間。私は20,21,22才でした。その頃一番好きだった女性歌手と言って良いでしょうね。デビュー曲の「恋のハレルヤ」はインパクトありました。
グループサウンドは好きでしたからね。彼女はそういう音楽だった。R&Bですよね。当時はそんな言葉は知りません。ロックンロールという言葉はありました。エルビスプレスリーは”キング・オブ・ロックンロール”と呼ばれてました。黛さんは、そういう流れの中の人でした。
それまでもそういう女性歌手はいましたよ。弘田三枝子さんとか、田代みどりさんとか、九重佑三子さんとか、中尾ミエさんとかね。大体、僕等と同世代か一歳前後くらい。黛さんは二歳下かな。でも、今、名前が挙がった人たちは、カバーだったんですよ。
つまり向こうのヒット曲を日本語で歌っていた。黛さんは、オリジナルだった。それは大きかったですね。しかも、ビートが利いていた。GSがバンドだとしたら、彼女は一人でそれをやっていた。”一人GS”だったんです。
68年に「天使の誘惑」でレコ大を取りますけど、レコ大の歴史で初めて女性がビートのある曲で受賞した最初の例です。声も華やかで艶があって、コケテイッシュだった。おまけにミニスカートだった(笑)。
で、初めてインタビューするんですよ。彼女はデビューして50年以上経ちますからね。でも、70年以降は、歌謡曲の方に行ってしまいましたから。70年を境にして音楽がガラッと変わりましたし、僕はそちらにいましたからね。ご縁がなかった。そういう人に、初めて話を聞く。こういう日が来るんですね。
ドキドキするでしょうねえ。アガっちゃうかもしれません(笑)。どうなりますか。曲ですね。「天使の誘惑」か「恋のハレルヤ」。やっぱり「ハレルヤ」かな。”ハレルヤ”なんていう言葉がタイトルになった曲も初めてでしょう。レイ・チャールスに「ハレルヤ・アイ・ラブ・ハー・ソー」という歌がありました。じゃ、お休みなさい。