本当ですね。忘れてました。岡本さんのこと、ブログに書いてたんですね。あの連載「ビートルズが教えてくれた」のことを書いたのが2012年の12月19日だったことも。偶然です。それよりも、憶えて頂いていたことにビックリしております。ありがとうございました。
例によって、書く方は書きっぱなし、送りっぱなしですからね。読み直しもしないというんで、お叱りを受けたりもしてますが、そうやって気にすると感覚が仕事っぽくなるんで、いい加減のままにしてるわけです。でも、そんな風に読まれているんだと思うと、やっぱり恐縮します。
岡本さん、お兄さんも放送作家だったんですよね、って岡本さんの話が続きますね。まあ、昨日のことですから、しょうがないか。今日、何となく気分が重かったのはどっか引きずってたのかもしれません。
お兄さんはドラマで賞も取ってるんじゃなかったかな。お兄さんに対してのライバル意識もあったんだろうなあ、と思ったり。でも、人の出会いって不思議ですよね。もし、岡本さんが拓郎さんとニッポン放送の番組で出会わなかったら、彼は作詞家にもなってないでしょうし。
人の出会いの偶然って何なんでしょうね。誰が決めたわけでも演出したわけでもないのに、ある時、一生を決める出会いがある。それを生かすだけの才能というのも必要なんでしょうし、生かすだけの決断というのもあるでしょう。
岡本さんだけじゃなく、喜多條さんもそうだったわけですからね。彼は文化放送で僕と同じようなことをやっていたわけです。彼にとっては、こうせつさんがそういう相手だったんですよね。放送作家が作詞家になる。元を質せば、永六輔さんとか青島幸男さんもそうでした。
僕も聞かれましたもんね。「作詞はしないの」とか。でもそっちには行かなかった。何でかなあ。当時は、「俺はラジオに残るよ」とか言ってたんじゃないかな。岡本さんも喜多條さんもラジオから離れてしまいましたからね。
自分の才能とか信じられなかったというのもあるんでしょうね。どっかで俺に書けるわけないよ、と思ってた。自分で書いたら、人が書いたものに何も言えなくなりますよ、と言ったこともあるか。でも、それは後付けね。
まあ、今頃そんなこと考えても何の意味もないですけど(笑)。だから今、こうして色んな音楽を楽しめるということもあるんでしょうから何の後悔もしてませんけど、岡本さん、死んじゃったのかあ、という感慨はありますね。
もし元気だったら、どうなっていた、とか、一緒に何かやったということでもないんでしょうし。風の便りで沖縄にいるらしい、みたいな消息を聞く程度なんでしょうけど、でも、やっぱり死んじゃったのかあ、という空しさは消えませんね。
空しさの歌、多いもんね。無常観。市井の達観。年末だなあという感じです。とりとめもないですが。明日は、新宿文化センターというところで「新宿カウンターカルチャー・ストーリー」という講座に呼ばれてます。
講師はプロデューサーで作家の佐藤剛さん。僕はゲスト。テーマは「新宿プレイマップ」。どんな話を聞かれるんでしょう。BAYFMの生を終わってから行きます。特集は福山雅治さん。福山雅治さん、岡本さんの歌、歌ってないかなと思ったんですが、思いつきませんでした。
というわけで、岡本さんが書いた曲、拓郎さんの「聖なる場所に祝福を」。2006年の「つま恋」の最後の歌。そう、あの時の打ち上げも岡本さんとずっと一緒だったんだ。じゃ、お休みなさい。