どういう順番でしょうね。年齢から言うと、矢沢さんと氷室さんでしょう。先週だと矢沢さんと氷室さんということになるんでしょうけど、昨日、今日だと氷室さんと矢沢さんという感じになりそうです。
氷室さんのファンクラブの会報誌「KING SWING」の原稿を書いてました。来年の春に行われると発表された「REVENGE LIVE」に向けて、事務所に残されている雑誌のインタビュー記事を読み直しながら、改めてアルバムを辿ってみるという連載なんですね。
来年の春のライブが、ファンのリクエストに応えるという風に発表されてますし、最後のライブですからね。今、本当に聞きたい曲は何だろうとそれぞれの方にも振り返って頂けるきっかけになれば、という趣旨でもあります。
色んな発見があったりしますね。忘れていたこととか、改めて発見すること。今回は「Memories Of Blue」と「SHAKE THE FAKE」という二枚のアルバムがテーマ、機会があればお目通し頂けると嬉しいです。こういうことを書くのも後半年くらいなのかなあという感慨とともに書いてます。
で、思ったんですよ。氷室さんと矢沢さん。生来、天性のロックンローラーという共通点はありつつ、違う点も相当ある。この間、矢沢さんの東京ドームを見ていたせいもあるんでしょうけど、改めて色んな事を思ったりしておりました。
天性、なんですよね、お二人とも。身体の中に、そういう衝動を抱えこんでいる。ロックでなければいけない必然性みたいものを自覚している。自覚は合ってないかな。なぜロックなのかというアイデンティティが鮮明にある。それでいて違う魅力がある。そこですよね。
ドームの矢沢さん、すごかったですからね。尋常なテンションじゃなかった。2時間半、声も全く衰えませんでしたし、動きも乱れない。そういうフィジカルな瞬発力、破壊力はすさまじかったですよ。エネルギーの権化みたいな感じ。俺もまだやれる、とか、もうちょっと踏みとどまってみせる、みたいに勇気づけられる感じでした。
氷室さんは、そういう張り詰めた緊張感がありつつ、もっと胸が痛い感じというのかな。今にも壊れそうなギリギリの際で戦ってる、追い詰められたような切なさがあるんですよね。肉体的なことじゃなくて精神的な鋭利さも音楽に現れている。
限界に挑んでいるという点では矢沢さんもストイックさを感じさせますけど、ニュアンスはやっぱり違いますよね。いずれにせよ、来年の春、氷室さんのライブがどんな風に行われるかで、来年以降の過ごし方が変わってくるのかなあという気もしております。
というわけで、氷室さんを。アルバム「Memories Of Blue」から「WILL」を。雨、無事だと良いですけど。じゃ、お休みなさい。