今週と来週、7月4日と11日の「NACK5・J-POP TALKIN’」のゲスト。7月22日に発売になるニューアルバム「平和元年」についてのインタビュー。ほぼ10年ぶりくらいかな。久々でした。今は、故郷の奄美大島に住んでますが、今日、鹿児島経由で羽田着、そのままスタジオに来てくれました。
アルバムは渾身の一枚。タイトルでお分かりのように、戦後70年という区切りの年を平和元年にしようというコンセプト・カバアルバム。「戦争と平和」という背景を持った曲ばかりを集めてます。"反戦歌”と言ってしまうと、一面的になってしまうかもしれません。
ピートシーガーの「腰まで泥まみれ」を皮切りに、ユーミンの「スラバヤ通りの妹へ」、あがた森魚の「最後のダンスステップ」、「リリー・マルレーン」や「ケサラ」、フォークルの「戦争は知らない」、甲斐さんがソロアルバムでカバーしていた「ユエの流れ」、高石ともやさんも歌っていた「死んだ男の残したものは」とか12曲。
舞台は日本だけじゃなくて、ベトナムやインドネシア、ヨーロッパやアメリカ、中南米。民族音楽の要素も入れながらのアレンジは、一曲ごとのドラマを浮き彫りにしてくれます。歌の中ではそこまで説明してなくても、ちょっと調べると、その歌の背景がすぐに分かる。そういう意味では、ネットは便利です。
元さんは、奄美大島の出身。そういういえば、奄美大島のこと、そんなに知らないなあと思って、少し調べてみました。奄美大島と戦争と検索するだけで、色んなことが出てきました。沖縄のことは今でもこれだけ問題化してますけど、奄美は、あまり語られない。でも、とんでもなかった。
当時の日本政府は、もし、沖縄が全滅したら、その次は奄美大島を本土決戦の場と考えていて、島全体の要塞化が検討されていた。実際に離島は、そういう状態になっていて、離島の住民は強制疎開させられていた。沖縄上陸が始まった昭和20年3月から100回を越える空襲があった。
奄美大島の離島、徳之島や喜界が島には特攻隊の基地もあり、更に、特攻艇の拠点もあった。特攻艇というのは、モーターボートに爆弾を積んで、敵船に体当たりをするという船ですね。そして、戦後は、沖縄と同じように米軍統治下にあった。鹿児島に行くのにパスポートが必要だった。1952年のサンフランシスコ平和条約で、沖縄よりも早く日本に返還された。
知らなかったと言いますか、前に聞いていてもそんなに気にしていなかったというか。無知ですみませんというか。そういう背景の中で歌われる一連の歌は、響き方が違いました。戦後70年。それだけの間戦争してこなかった、ということですからね。その意味を問いなおす年。平和元年になることを願いつつのインタビューでした。
機会があれば、是非、アルバムを。その中から、作詞は谷川俊太郎さんです。「死んだ男の残したものを」を。あ、「LUNA SEA フェス」。長時間でした。その話はまた。じゃ、お休みなさい。