昨日の新聞になかにしれいさんがガンを再発させているという記事が載ってましたね。76才。そして、数日前には、平尾さんが闘病の末に復帰したというニュースもありました。77才。同世代の作詞家と作曲家が、同じような場面にさしかかってる。
そういう時代なんですよ。僕らよりも少し上の方たちが、最終章を迎えている。なんだか、焦るというか、早くしないと、という感じなんですね。何かを聞いておいたり、記録しておくとしたら、今しか無くなってる。
この間思わず書いてしまった「霧の摩周湖」は平尾さんの作品ですし。名曲はたくさんあります。元はロカビリーの人気歌手だったわけで、日本のロックの走りにいた方でもあるわけですね。そこから始まって、伝統的な日本の方角とは違う歌謡曲を作ってこられた方です。
平尾さんは、大昔、一度だけ取材で話を聞いたことがあるんですけど、れいさんは、お会いしたこともない。「セイ!ヤング」が始まった当初のパーソナリテイでもあったんですけど、機会がありませんでした。
シャンソンの訳詞から始まった詩人が歌謡曲の何を変えてきたのか、変えようとしてきたのか、興味あります。しかも、ご自分の病が明らかになってからは積極的な憲法擁護発言も続けている。あれは、遺言なんでしょうね。
戦争を知っている世代が歌謡曲に託してきたものというのがあるんだと思うんですね。それが”歌謡曲の思想”でもあった。話、お聞きしたいです。新聞を見ながらジレンマを感じておりました。
前にも書きましたけど、僕は生まれたのが船橋の映画館の側で家の中二階にあった宣伝スピーカーが一日中通う今日を流していたわけです。子守歌替わりでした。でも、その頃の音楽の話を書いたりする場はほとんどなかったですからね。
戦後70年に、そういう仕事が出来たらなと思って企画書を書いたりはしてたんですが、思うように行ってません。やっぱり駄目かなと思い始めてる今日この頃です。半ば諦めムードね。
ここ数日、また不整脈モード。生放送は何ともなかったですけど、ライブはキャンセルでした。医者行かないとね。早くしないとなあ、という感じは、そういうところからも来てるのかもしれません。
曲ですね。北原ミレイさん「石狩挽歌」、なかにしれいさんの傑作です。じゃ、お休みなさい。