何が経過したんでしょうか(笑)。ブログを書かなかった日ですね。見なかった日。一週間ぶりに開けました。先週の”公共性”云々というタイトルも大げさだったし、本文も例によって思ったことをまとまらないまま書いてしまった感じで、不親切極まりない。言葉足らずだよなあ、書き直そうかなと思いつつ、そのままにしてました。
落ち着かなかったですね。何かやるべきことをやってない感じというか、言いたいことを言わないもどかしさというか、出るものが出てない感じというか、詰まってる感じね。そういう意味では、丸々9年間、ほぼ10年近くやってきたことをやってない収まりの悪さを感じておりました。
これも慣れるのかなとも思ったんですよ。書かないのが普通になる。でも、それでどうなるとも思うわけです。じゃあ、もっと熟考して、どこからも突っ込まれないような意見を書くという選択肢もあるんだろうな、と。でも、それもあんまり楽しそうじゃないなあという気もしたわけです。
何て言うんでしょうね、いい加減だから楽しいというんでしょうか。時にはどうでもいいことを書いてるから気晴らしになる。気晴らしをみんなに読ませてどうする、そんなものを公の場にさらして楽しいのか、という方もいらっしゃるんだと思うんです。
確かに、そうだとは思うんですけどね。誰が読んでるか分からないところに、どこが痛いこっちが疲れた、忘れ物したとか時間間違えたとか。その場の思いつきで書いてる。勢い余ったり、滑ったりしてることも多いわけで、大丈夫なの、と心配してくださる方もいた。先日、真摯に助言してくれた友人がまさにそうだったわけですね。
ありがたいことだなあと思ったんですよ。でも、こう言ってしまうと実も蓋もないですけど、それでもいいか、というのが一週間経過の感想であります。元々、そんな立派なことを書こうと思って始めたわけじゃないですし。何度も書きますけど、寝る前の気晴らしでしたからね。
気晴らしを止めればどうなると思います。気が晴れない(笑)。昨日、LUNA SEAの国際フォーラムを見て、むちゃくちゃ格好良かったんで、それを書こうかなとも思ったんですけど、止めてみたら、やっぱり物足りない。
もちろんそういう原稿は雑誌にお金を払って読んでもらうべきものなわけで、無料というのはあるべき姿ではないと分かってはいるんですけど、カッコ良かったよお、くらいは良いじゃん、という感じもあるし。毎日そういうことを書くわけじゃないですからね。
色んな事、思い出しました。当初、ラジオの深夜放送のコラム番組みたいなことが書きたいと思ってたんですよ。”昨日の続きはまた明日”みたいなね。そういう番組をやりたいんだけど、どこもやらしてくれないから自分で書くという場所だった。それでいいじゃん、という感じがやっぱりします。あんなに勿体つけておいて、結局は、それかよ、ですけど(笑)。
タイトルは変えようと思いますけど。当初のイメージが10代の頃聞いていたラジオ関東の「昨日のつづき」でしたからね。そんな感じにしようかなとか。前田武彦さんがやってんですよ。もう一人いた。名前が出てこない。だったら調べてから書けよ、という意見も当然あるわけですけど、調べない(笑)。だって、思い出せないんだからしょうがない。
10年目なわけでしょう。59才から68才。この先10年は大変ですよ。書こうと思っても書けなくなることもあるでしょう。嫌でも書けなくなる。だったら、このまま行けるところまで行けば良いじゃん、という感じでしょうか。あっちが痛い、こっちが痛いはどんどん増えますよ(笑)。
無防備、しょうがないか。僕は支持してませんけど、前田武彦さんはテレビの生放送で「共産党万歳」と言って番組を干されたんですよ。清志郎さんは、やっぱり打ち合わせと全然違うことを歌ったりもしてたわけですし、一緒にするな、と言われそうですけど、拓郎さんは自分の離婚を深夜放送で告白したり。何だろう、そういう無防備さが好きなのかもしれません。
タイトル、考えてくださいよ、ってこれも勢い、ね(笑)。ま、そんなこんなでやってこうと思います。あー、すっきりした(笑)。色々ありがとうございました。全治一週間、軽傷でした(笑)。曲ですね。坂本九さん、ウルフルズでも良いです。「明日があるさ」。”年寄りの僕らには夢がある”。これはかなり無理があります(笑)。じゃ、お休みなさい。