清志郎さん特集の一週目の収録でした。元イベンター、現プロデユーサー、蔦岡さんのインタビュー。1時間番組ですけど、曲も入るし、あっという間。時間が足りない。何しろ彼は、83年のツアーからイベンターとして関わって、2008年の復活武道館まで手がけられた人ですからね。
ライブのオープニングで清志郎さんを呼び込んでいたナレーションをしていたのも彼です。最後まで一番近しかった一人。初めてライブを見たのがなんと79年の新宿のライブハウスとは言えないようなパブ風なスペースだったと言ってました。
それも、「ニューミュージックマガジン」で中村とうようさんが書いていた一言が気になっていて、たまたま新宿を通りかかったら、その場でライブのフライヤーを手渡されて見に行ったという偶然の出会いだったんだそうです。
お客も満足にいないライブのオープニングでいきなりステージに走り込んできた清志郎さんの「よーこそ」という一声に衝撃を受けてしまった。そこからライブハウス通いが始まったという人ですからね。すでに35年。話が終わるわけがない。
清志郎さんだって70年デビューですからね。拓郎さんと同じです。片や70年代は満足にレコードも作れなかった。片や時代を変える寵児としてスーパースターになっていった。清志郎さんの45年と拓郎さんの45年。対照的であり通底するものもあり、という感じですよね。
何しろ45年ですからね。しかも、70年代は別として、80年代以降の清志郎さんは止まっていた時期が無い。それも、いついかなる時も歌の中に一番先鋭で純粋な自分を注ぎ込んでいる。改めて聞けば聞くほど奥が知りたくなるという感じです。
前にも書きましたけど、清志郎さんで人生が変わったというには、少し年が行き過ぎてますし、それ以前の音楽で色んな刺激も受けてましたから、若干距離を置いてみてましたけど、今聞くと、自分は何を見ていたんだろうと思うことばかりです。
色んな資料を見ていても、拓郎さんが70年代にRCを高く評価していたという記述があります。同じR&B、ソウルの匂いを感じ取っていたんでしょうね。でも、生き方は対照的に見えました。清志郎さん再評価。古い言い方をすれば、マイブームというんでしょうか。
明日は、「LEGEND FORUM」の二週目のインタビュー。2月10日公開の映画「忌野清志郎・ロックンロールショー・♯1・入門編」の監督さんです。今、進行台本を送りました。どんな話になるんでしょう。
曲ですね。2000年にインデイーズで出たアルバム「夏の十字架」にこんな曲がありました。「誰も知らない」。彼が「君が代」をパンクアレンジで歌ってしまってメジャーで発売中止になった「冬の十字架」の次のアルバムですね。切ない歌です。”みんなはテレビで流れてくる歌しか知らない”と歌ってます。じゃ、お休みなさい。