22日になくなったそうですね。日本時間23日ということか。クリスマスイブの前日。70才でした。といっても特別にファンだったとか、そんなに熱心に聞いたわけでもないんですよ。でも、ある時期、とっても強烈な印象が残っている1人でした。
この辺の感覚が今と違うんでしょうね。今は、いくらでも情報が手に入りますから、”好き”ということは相当なマニアを意味したりするわけです。どの曲は何のアルバムに入っていて、発売はいつで、チャートが何位だった、みたいなことまで知ってる。
これは陽水さんも言ってたことがありましたね。「今は、デイランが好きとか簡単に言えない」と言ってたのかな。僕等の頃は、アルバムを一枚持ってる程度でも「好き」という部類に入りましたからね。アルバムを持っていること自体がすごいことだったわけです。
今、デイランが好き、ということは、彼の発言とか調べたり、データを把握していたりでしょう。当時は、そこまでの情報もなかったですから。ジョーコッカーもその程度かな。アルバムは持ってました。「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」というアルバムでした。今、どこにあるのか分かりません。
ウッドストックの映画で強烈な印象を残したんですよ。カーリーヘアというより伸ばし放題みたいな髪の毛、仁王立ちして上半身を上下させながら酩酊したようなアクションで腹の底から絞り出すハスキーボイス。強烈でした。
もう殆ど忘れてましたけど、彼の70年のツアーを納めたアルバムと同名のドキュメンタリー映画があったんですよ。その印象が強かった。レオン・ラッセルなんかも参加していたツアーですね。バスでみんなで移動する。家族とか犬とかも一緒なんですね。
明け方、草原で霧の中で瞑想するみたいなシーンが、鮮烈に残ってたんですね。映画はヒットしなかったみたいで、その時一回しか見てないんですけど、ツアーの理想主義みたいなものを感じたんですよ。幻想というか。憧れというか。
90年に浜田さんのツアーに同行した時に、イメージになっていた一つが、その映像だったんですよ。ツアーの現場を見てみたい。一緒に旅してみたいと思わせた一つ。他にもあったんですけどね。ボブ・グリーンというコラムニストが「アメリカン ビート」という本に書いたボブ・シーガーの旅先のインタビュー・ルポとかね。
でも、遠い昔に見た夢、みたいにジョー・コッカーのツアーがあったわけです。その話は浜田さんとしましたね。そうしたら、彼は、「あのツアーが最後どうなったか知ってる」と詳しく教えてくれたんですよ。そういう公私混同とか現実離れした理想主義が、結局人間関係や金銭的なトラブルとともに終わって、ジョーコッカーは、その後始末に苦しめられることになったというんですね。
60年代後半のほろ苦いロック幻想、ヒッピー幻想の一つ。浜田さんは、その先を行ってるんだなと思った記憶があります。もう一つあるな。いつ頃だったか忘れましたけど、拓郎さんが、オールナイトの「人間なんて」の自分の歌いっぷりとジョー・コッカーという話をしていたことを思い出したんですね。
ウッドストックで取り付かれたようにシャウトするジョー・コッカーと「人間なんて」の拓郎さん、そうだったのかあ、と妙に納得したことがありました。彼の洋楽好きがふっと垣間見えた気がしたんですね。というようなことを思い出しました。昔話でしょうねえ。
まだもう一つあるんだ。これは恥ずかしいけどね(笑)。カミサンと初めて見た映画が「愛と青春の旅立ち」。ジョー・コッカーが主題歌を歌ってました。昨日のイブ、彼女を一人にして悪いなあと思ったのはそういう感傷もあったのかもしれません。
70才ね。僕等もそういう年齢なんですよ。戦後70年ですからね。というようなことを感じさせました。追悼、ジョー・コッカー。曲ですね。ウッドストックの「ウィズ・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を。今、映画館なんか行かずともYOU TUBEで簡単に見れますからねえ。良いのか味気ないのか。
そしてお詫びです。昨日の氷室さんのライブDVDの発売日、いい加減でした。失礼しました。もし、ご興味あればご確認ください。じゃ、お休みなさい。