無事終わりました。解散公演に無事は変か。滞りなく、も変ですね。感動的に終わりました、かな。色んな解散コンサートを見ましたけど、涙よりも拍手が多いというのがとっても清々しかったです。見届ける、見送る、という感じでしょうか。
もちろん、これが最後ですから、泣いている方もいらっしゃいましたけど、取り乱すような泣き方ではなかったです。メンバーも晴れやかでしたし。まだこんなにエネルギッシュなパフォーマンスが出来るんだと思わせる3時間を超える熱演。全てをやり終えたといういい顔をしておりました。
25年を辿るベストアルバムのような選曲だったツアーとは内容も一変してました。武道館仕様。サポートミュージシャンも25年の間のゆかりの方が登場、大所帯の分厚いアレンジでしたし、最後に伝えたいこと、本当に自分たちがやりたかったことを凝縮した選曲。感傷的にならなかったのは、それもあったんでしょうね。
9月からのツアーで一杯泣いた、一杯振り返ったから、最後は自分たちのメッセージを残そうということだったんでしょう。ブラジル・沖縄色も強かったです。一貫して流れていたのは、彼らの音楽の中の”愛”ですね。色んな角度からの”愛”が歌われておりました。
でも、改めて、俺は何を見ていたんだろうなあと思ったのは、途中で、彼らの歌と時代に焦点を合わせた映像が流れたんですね。バブルの最中に何を歌っていたか、天安門事件の時や湾岸戦争、9・11のテロの後の歌。こんなにジャーナルな歌だったんだと思わされたりしました。
最たるものは、デビューアルバムのタイトル「A PEACE TIME BOOM」という言葉。あれが、実は”WAR TIME BOOM”のアンチ語だった。”WAR TIME BOOM”というのは戦争景気なんだそうです。つまり、戦争特需ですね。それの反意語として考えられた。
今更ですよ。そうだったんだ、と思ってしまいました。女子中高生に人気のスカバンドというイメージでしたからね。そんなに社会性のあるバンドだった。自分も含めてこの25年の日本の音楽メデイアの底の浅さを思わずにいられませんでした。
そういう意味ではずっと理解されないまま25年来たのかな、と思うと、頑張ったなあという実感がありました。日本の音楽、日本人がやるべき音楽を模索していて沖縄やブラジルにも行ってしまったんでしょうから。宮沢さんは、今や沖縄や移民の歴史の研究家でもあります。
こんな真面目なバンドがあったんだ、という妙な感慨とともに拍手を送って参りました。メンバーの今後に幸あれ、という感じです。というわけで、貴重なバンドがまた一つ幕を閉じました。曲ですね。本編1曲目が「島唄」、最後がこの曲というのが、まさにTHE BOOMです。「シンカヌチャー」。琉球太鼓が似合ってました。じゃ、お休みなさい。大竹さんの話はまた。