と言ってもご存じないでしょうね。1971年8月夏、箱根の芦の湖畔で行われた野外イベント。ピンクフロイドが来たことで知られてますって、ご存じないでしょうね。知られてないって(笑)。何でそんな話を書いてるかというと、高中さんのインタビューで「まさかアフロデイテの話が出るとは」と言ってたからですね。
彼は「毎日新聞の取材」としか聞いてないわけですから、どんな記者が来るかは分からないわけで、そんなに古いことを知っている人だとは思っていなかったんでしょう。「その頃のこと、知ってる人はほんとに居なくなりましたよね」と言っておりました。
で、アフロディテだ。メインステージとサブステージがあったんですよ。メインは高原の平地、サブは、窪地の底。谷底のステージみたいでしたね。メインはピンクフロイドとか1910フルーツガムカンパニー、バフィーセントメリーと言った人たち。ま、洋楽メインでした。
高中さんやモップス(も出てたと思いますけど)、なんかはサブステージ。明らかに扱いが違った。でも、僕はサブステージの方に感動したんですよ。ロックイベントぽかったのかな。ピンクフロイドは「原子心母」が出た時で絶頂でしたけど、いわゆるロックじゃなかったですからね。
彼らが出た時は霧がかかって神秘的でしたし、まさにピンクフロイドだったんですけど、どう言えば良いんだろうなあ。僕等がイメージするロックフェスは、サブステージだったんですよ。ウッドストックみたいに、みんながロックで”ノル”感じですよ。
日本のロックファンが経験する初めてのロックフェスですからね。成毛滋さんのフライドエッグ、名前はまだそうなってなかったかな。でも、彼らの方がロックな気がしたんですね。これがロックだ、みたいな感動がありました。
で、話には続きがあって、高中さんは、その翌日に中津川の「全日本フォークジャンボリー」に行ったというんですよ。長谷川きよしさんかな、彼のバックをやることになってたんですって。そうしたら、例の「メインステージを占拠しよう」という学生のせいで中断になってしまった。彼はステージに立つことはなかったんだそうです。
そうだったんだ、という話ですよね。中津川フォークジャンボリーは、岡林さん始め、フォークロック系のアーテイストがほぼ総出演した野外イベント。第三回ですよ。サブステージで拓郎さんが歌っていたときに電源が落ちてしまって、彼は「人間なんて」を2時間歌った、という伝説のステージですよね。
あそこに高中さんもいたんだ、という発見ですね。僕は、アフロディーテの後、みんなで中津川に行こうとしたものの、芦ノ湖で風を引いて熱を出してしまって、小田原の旅館で寝てたんですよ。他の友人は中津川に行って、帰ってから「拓郎、すごかったぞ」という話になりました。
まあ、70年代最大の後悔がそれでした。というような話になった濃い取材でありました。どこまで記事になるか分かりません(笑)。でも、高中さんのそういう話もあんまり公になってないんで、どっかで形になればなあ、と思った次第です。ということで、古い話でした(笑)。
ここまで書いたら、やっぱり「人間なんて」になるんでしょうか(笑)。拓郎さんね。じゃ、お休みなさい。