大阪で取材するんですね。憂歌団の地元。活動再開のためのインタビュー。でも、ですよ。彼らがデビューして40年になるというのに、初めてのインタビュー。木村さんと内田さん。ドキドキ。緊張感バリバリです。
ライブは何度か見たことがあるんですけどね。阪神淡路大震災の時、神戸の老舗ライブハウス、チキンジョージが倒壊してしまいましたよね。その復活ライブの1回目が憂歌団だったんですが、チケットを買って見に行ったりはしました。
とは言え、お客さんでライブを見るのとインタビューするのは全然違いますからね。彼らは大阪の泥臭さや生活感が持ち味で、僕は関東の軟弱者。一目も二目も置いてましたし、相手にされないんじゃないかと思ってましたからね。声がかかった時は、ほんとに僕で良いんですか、と言ってしまいました。会った時、言葉が出るんでしょうか。
この話、前に書きましたっけ、最近、そういうことが覚束なくなってる(笑)。老化ね。間違いない。大瀧さんの死は、そんなことも考えさせるんですよ。お酒もタバコもたしなまないという人でも突然、そういう場面がやってくる。その意外性は重いです。
この世界、飲み過ぎが当たり前、若くして他界する人の大半がそういう生活をしてたでしょう。教訓はシンプルだったんですよね。健康に注意して無茶をしない、ですよ。でも、そうじゃないこともあるんだと見せつけられてしまった感じなんですね。
それと、気分が重いのは、これから大追悼時代が始まるのかなあ、ということもありますね。考えたくないですけど、追悼に値する人たちが最後の場面を迎えることになるわけで、彼らの音楽で育った人や影響された世代の人たちが追悼疲れをしてしまうことになるんではないか。
新しい何かが生まれる余裕、というか、そういうエネルギーを奪ってしまうんではないか、と思ったりするわけです。取り越し苦労、余計なお世話であって欲しいですが。自分も含めて、人はいつか死ぬ。そのことを受け入れる覚悟を持たないといけないんだろうなって、新年早々、話しが大げさになってますね(笑)。
というわけで、明日は大阪。晴れて欲しいな。新年早々の富士山を見ながら行ってきます。大阪ですぐに浮かぶのは、「大阪で生まれた女」かな。それもBOROじゃなくて、ショーケン・バージョン。あの曲を。じゃ、お休みなさい。