・もう少し早く書こうと思ってたんですが、慌ただしい日が続きました。火曜日は小田さんの「クリスマスの約束」で、昨日は桑田さんの「ひとり紅白」。片や舞浜、片や横浜。終わったのは、ともに11時でありました。食事どころか終電がやっとという有様。ブログどころじゃなかったです。
・正確に言うと、それだけじゃなかったですけどね。唐突に書き込まれた踏み絵のような質問にどう答えるべきかという戸惑いもありました。何であなたにいきなりそんなことを聞かれなければいけないんだ、というムッとした気持ちとかね。友達と飲んでいるところに突然、踏み込まれて、マイクを突き出された感じというのかな。
・例えば、デモに参加していた人たちが、帰りに一杯やろうか、とみんなで飲んでいるところに、これからデモに行くという血気盛んな若者が、どやどやと入ってきて「こんなところで飲んでる場合なんですか」と問答無用の糾弾を始めたとしたら、飲んでいた人たちがどう感じるかとか。
・色んな戸惑いがありますよ。書込まれた方も危機感に駆られてだったんでしょうけど、お門違いだという反発と、自分はそういう風に見られているのかという、現実を突きつけられた感じとかね。とは言え、一度は触れないといけないだろうなとは思っていたことなんで、遅ればせながら書きますね。もう遅いでしょうけど。あの法案ばかりじゃなくて、色んな事がそういう感じです。
・あの法案に対して感じていること。恐怖感、絶望感、そして諦観という感じでしょうか。恐ろしい法律ですよ。政権を握っている人たちが”これは秘密です”と言えば、みんな守られてしまう。自分たちに都合の悪いことは隠すことが出来る。そればかりか、それを知ろうとした人たちを犯罪者にすることも出来る。原発にしろ何にしろ、彼らには隠したいことばかりでしょう。
・そんな日が来ないことを願うばかりですが、拡大解釈しようと思えばいくらでも出来る。戦前がそうだったわけですけど、もう、その頃のことを知っている人の方が少ないですし、そんな爺さんが何を言っても耳を傾ける人の方が少ないでしょう。戦争中にアメリカの音楽が敵性音楽として禁止されていた、イラク戦争の時に「イマジン」が放送禁止になったようなもんでしょう。
・放送禁止は、放送局や放送団体の自主判断というのもあるわけですが、それが法律で禁止されることにもなるわけですしね。政府や行政が、「あの曲は危険」と判断すれば、取り締まりの対象になってしまう。今、僕らが聞いているロックにもそういう曲がたくさんありますよ。そういう音楽が「やばい」という空気が広がれば、どんどん自主規制が広がって行くでしょう。
・何しろ、”大音量””絶叫調”が”テロ”と同じだ、という人たちが運用するわけですからね。音楽の本質、原点は”祈り”か”叫び”でしょう。それを”音量”で計ることが出来るでしょうか。激しい祈りも叫びも、時として大音量になるでしょう。だからこそ胸を打つことにもなるわけですし、それを”威嚇”としか思えない人が政権を握っているわけです。
・絶望感、諦観というのは、その先ですね。もう歴史の歯車はそういう方向に回ってしまっているんではないか。国民がそういう政権を望んだ結果だとしたら、どうにもならないのだろうな、という気分。一度、力を持った人たちは、それを維持するためにはどんなことでもやりますよ。声を上げている人たちに対しては、敬意も感じてますし、そういう人たちが傷つかないよう無事を祈るばかりです。
・何の答えにもなってないかな。でも、書き始めるときりがないことでもあります。これ、、明日、消すかもしれないよ(笑)。それよりも喉の違和感が消えません。熱もないし、風邪じゃないと思うのですが。明日、やっぱり耳鼻咽喉科に行ってみます。曲ですね。ミスチルの「マシンガンをぶっ放せ」。タイトルだけで問題視することも出来る法律じゃないでしょうか。じゃ、お休みなさい。