いきなり固有名詞です、すいません(笑)。普通は、監督のSさんとかするのにね。でも、すごい話を聞いちゃったんですよ、って噂じゃないですよ。噂でも憶測でも都市伝説でもない。彼の口から直々にでありますって、勿体つけてるでしょ。でも、人に話すのはもったいないくらいなんですよ。
今日、六本木のTOHOシネマで「BEAT CHILD」アンコール上映感謝トークイベントがありました。イベントと言ってもせいぜい25分ですから、軽いトークという感じですけどね。当初は、白井貴子さんと僕の予定だったんですが、監督の佐藤輝さんが飛び入れで出てくれました。
その時に、色んな裏話聞いていて、71年の中津川フォークジャンボリーの話になったわけです。日本の野外イベントの歴史、みたいなこともあったのかな。そうだ、野外イベントの撮影体験みたいな話だ。そうしたら、彼は、あの時、中津川のテレビ中継車の中にいたんだそうです。
びっくりしたなあ、もう、でしょう。メインステージが「商業主義粉砕」を叫ぶ集団に占拠されて中止になってしまったイベント。拓郎さんがサブステージで「人間なんて」を2時間歌ったというあのイベント。彼は、「粉砕」を叫ぶ学生に揺らされる中継車の中にいたというんですよ。
彼はテレビマン・ユニオンという制作会社にいたことも、そこを独立してから、キャロルの解散コンサートや沢田研二さんを撮ってたこと知ったんですが、まさも中津川のテレビ中継車の中とは、ほんとに仰天でありました。何度も会ってますけど、そんなこと一言も言ってなかったですからね。
初めて会ったのは、78年。僕が雑誌の編集者の時ですね。沢田研二さんの頁が作りたかったんですけど、お金もない。苦肉の作で、彼が制作・撮影していたテレビの番組のフィルムを借りて、それを写真に起こして頁を組んだんですよ。尾崎さんの映像で評判になるのはその後ですね。
白井貴子さんは、74年の「郡山ワンステップフェス」に京都から参加した15才でしたし、偶然、70年代体験が共通する3人でした。こういうのを縁というんでしょうね。驚きました。なんだかこの先がありそうです。というわけで、拓郎さんの「人間なんて」。本人は嫌がるでしょうねえ(笑)。昨日、時間がなくて書けませんでしたけど、一昨日の夜か、拓郎さんが武道館のステージで歌ってる夢を見ました。正夢にならないかな。じゃ、お休みなさい。