少し、酔ってます。午前中のBAYFMの生を終えて、戸井さんの「新たな旅立ちを見送る会」に出席して、実家に寄ったりしてました。朝が早かったから、少しビールが入るとすぐに廻ってしまいます。ほんとに弱くなったよなあ、としんみりしてしまうのは「見送る会」があったからかもしれません。
戸井さん、というか、十月ね。彼のことは以前簡単に触れましたけど、僕は知っているのは30年くらい前のことで、最近、特に、彼がバイクで世界を駆け巡るようになってからのことは、彼が作ったテレビのドキュメンタリーや書いたものでしか伺うだけだったんですね。
でも、「見送る会」で、関係の深かった人たちの話を聞いていて、改めていろんなことを考えたんですよ。彼が、病に伏せってからもなんでそんなに旅にこだわったのかとか、最後の最後まで、新しい旅を情熱的に夢見ていたのかとか。
それが希望だったんだろうなあと思うんですね。もちろん、好きだったということもあるでしょう。でも、そこには、永遠に求め続けた理想の何かがあった。旅人同志の連帯とか信頼とか、旅先で出会った人と人の交流とか、空と大地の果てにしかない、俗世間とは無縁の世界とか。
まあ、僕らのようなドメステイック人間には、想像でしかないわけですけど、そんな風に生きられたら良いだろうなあ、ということくらいは分かります。この狭い日本のしがらみから解き放たれてただただひたすら先へ進んで行く。精力的な仕事を残してます。
60年代70年代に何らかの形で、日本に失望したり、幻滅したりしたことのある人は誰もがそんな風に生きてみたいと思ったんじゃないでしょうか。自由になりたい、自由という実感を味わってみたい。例えそこには、命を失うというリスクがあったとしても、です。
彼が北米大陸横断とかシルクロード走破とか行き始めたのは30代後半。40代になって一気にシフトしてゆくわけです。それまでは、石井聰互監督と映画「爆裂都市」を作ったり、国内での突破口を見つけようとしていたと言って良いでしょう。
それよりもバイクで道の果てを走る方がロマンテイックだった。考えてみれば当たり前ですよね。でも、みんな生活だの仕事だの家族だの、捨てられないものもあって、そこには踏み切れない。いつか風の報せを聞くだけになっていったのは、羨望もあったんでしょうね。
それでいて単にバイクで走るだけのライダーではなかったのは、キューバのカストロ議長に会ったり、ゲバラの足跡を辿ったりというしていたことに象徴されてますよね。ゲバラというのは、キューバに革命が起きた時のカストロと並ぶ英雄です。
カストロが国内の改革に携わって行くのに対して、彼は新たな革命の舞台を求めてボリビアに行ってそこで命を落とすわけですね。その足跡を追ったのも、自分の旅のロマンの再確認だった気がします。旅と革命。そこに永遠に繋がる何かを見ようとした。
日本の国内でくすぶって、「あの頃はこうだったよな」とか飲み屋談義をするオヤジにだけはなりたくなかったんでしょう。そして、日本という国が、自分たちが変えようとしていた方向と正反対の方に向かって行くのを座して見ていられなかった。
だからと言って、政治に関わることの空しさも知ってしまった。旅には、そういう現実とは違う世界があったんでしょうね。でも、同世代というか、あの頃、同じように時代や社会と同化出来ずにいた一人として、格好いいと思ってました。そして、今日も改めて思いました。
そう、同化出来なかったんですよ。うまくサラリーマンにもなれなかった。適当にネクタイをして生きようとも思わなかった。彼の旅は、同化しないということの最上級のロマンだった気がします。でも、身体も頑丈そうだったし、俺より早いとはねえ。
だらだら書いてます。酔いも廻ってきてますね。寝ますか。会で配布してくれた、彼のiーpodに入っていた曲のリストに、アメリカや中南米の音楽に混じって、達郎さんの曲がありました。僕は外に出てしまったんで聞けませんでしたが、献花のBGの最後の曲が達郎さんの「希望という名の光」でした。
果てなき旅の果てに彼が見たかったのは「希望」だったんでしょう。人間の中に、地球の上に、そして、自分の生き方に、です。その曲を。改めて、合掌です。ご冥福を祈ります。