無事です、って何回目だ。昨日の夜戻ったんですが、今日の収録の準備で遅くなってしまいました。「ANNG」がお休みだったこともあって集中出来ました。幸いというんでしょうか。あれがあると仕事が手につかなくて困ったことになるケースが多いんですからね。
書くこと一杯ありますよね。函館の事後報告や浜田さんのテレビのこと、黙っていたのは悪気があるわけじゃなくて、非公式に情報が漏れない方が良いのかなということだけですね。あんまり得意そうに思われるのも不本意ですし、見てびっくりされた方が面白いでしょうし。あれは、浜田さんの書いた脚本通りです。
で、昨日知ったのが戸井十月さんの訃報。僕より二つ下なのかな。二年前だったでしょうか、肺がんを克服して再びバイクで旅に出るというドキュメントをやってましたよね。あれが最後になったということなんですね。この20年くらいは会ってなかったんですが、一時はかなり近しいところにいた男でもあります。
最後に会ったのはいつかなあ。何年前かな。そう、作家の永倉万治さんのお葬式だ。「お互い元気でやろうな」と言って別れたんですが、それきりになってしまいましたね。バイクで世界を駆け巡る。映像や紀行文、小説やノンフィクション、精力的な活動でした。
スケールの大きい、果てしないロマン、というのかな。それを行動で形に出来る。希有な人物でしたね。行動するだけでなく、企画を実現したりプロデユースもする。放送局に掛け合って番組にして、スポンサー企業も見つけてくるバイタリテイの持ち主でした。
あくの強さもありましたけどね。合気道をやっていたせいか、胆が座っていて、それが威圧感になるというのかな。文章もそういうトーンでしたよね。バイクに乗れなくなってもヘミングウエイみたいに旅をしながら書くという行動派な作家になるんだろうなと思ってました。
初めて会ったのはいつかな。70年代半ばか。彼は「プレス75」というフリーライターのオフィスを主宰してたんですよ。事務所が四谷の文化放送の側だったんですね。僕は文化放送に”住んでる”と言われてましたから時々顔を出したりしてました。
あの時代ですからね。学園闘争の煽りで就職試験に失敗したり就職を拒否した若者がたくさんいたんですよ。今の人には分かってもらえないでしょうけど。そういう連中を集めて事務所にしていた。NHKの「若い広場」の司会もやってたんじゃないかな。
僕がやっていた雑誌で「暴走族」の特集をやった時にライターで入ってくれて、その時の関係で後に「シャコタンブギ」という本を書くようになったり、彼が初めて世界を旅するという時に、彼が司会をやっていたテレビの若者向けの生番組のピンチヒッターを頼まれたりもしたんですよ。それが僕のテレビ初司会でした。
彼が呼びかけ人になった本も参加しましたしね。というようなことが80年代の前半に集中的にあったりしたんですよ。作家の亀和田武とか、よくつるんでいた時期の思い出ですね。一番喧嘩も強そうだったし、肉体派ぽかったんですが、ガンには勝てなかったということでしょう。
あの時代に多少若気の至りとかもあってはみだしてしまった。その中で何とか自分の足で歩けるようになって生まれた交流というんでしょうか。そういう人たちにも最終章が訪れているということを実感させてくれました。合掌、冥福を祈ります。彼が、最初の旅に出る時の送別会で歌っていた曲を。もんた&ブラザースの「ダンシングオールナイト」を。じゃ、お休みなさい。