タイトル、長くなりました。本文はそんなに長くならないと思います。最初から予防線を張ってどうする、ですけどね。RADWIMPS、良かったなあ。アルバムのプロモーションがあるわけでもないし、ツアーの一貫でもない。野田洋次郎さんが自分でも「当分ライブはないし、自分たちでも何かを掴むために来た」と言ってましたけど、そういう”仕事感”が全くないライブでした。
選曲も繊細な曲が多かったですし、バンドも何かを確かめながら演奏している感じだったし、真摯な感じというのかな。彼らの作品そのままのようなライブでした。作品そのまま、と言ってもあんまり知らないという方にはなんだか解らないかもしれませんが。
でも、何度か彼らのことは書いてますもんね。ヴォーカル・ギター、ソングライターの野田さんについて”才能が奔流のようにほとばしっている”と書いた記憶があります。さすがに、20代後半になって、そういう不定型さはなくなって、もっと確かな要素が増えている印象はありますけど、でも、類型がいないことはより鮮明になってますね。
何でしょうね。彼の声を聴くと泣きそうになる。無垢な感じというのかな。繊細で儚げで壊れそうに危うげ。初めて尾崎さんを見た時も、壊れそうな印象はありましたけど、もっと内省的。尾崎さんの中の諦観の部分を更にウエットいにした感じというのかな。それでいてオルタナテイブなロック。いや、でも、もうジャンルはない、という印象かな。クラシックのような気品もアバンギャルドのような前衛感もありましたからね。
で、彼は、コンサート会場のことを、「このまま終わってしまうのかなと思う世界」とは、違う、美しい空間、というような表現をしてたんですよ。言葉は正確ではないですが。その感じがすごくフィットしたんですね。彼が客席の”年代チェック”的に「学生さんはどのくらい」と言った時にアリーナの7割くらいかな、挙手してましたから圧倒的に若いわけです。
開演前、周辺にも視野に入る客席にも知っている顔は渋谷陽一さんくらいしかいませんでしたから、圧倒的な部外者、というか、心細いくらいの場違い年齢。でも、始まってしまうと、そういう疎外感がなくなるんですよ。あれは音楽の不思議でしょうねえ。そうか、こういう感覚が味わいたくて、コンサート会場が好きなんだなと妙に納得してしまいました。
ステージに立つ人もそうやって自分が居るべき場所を見つけてゆくんだろうなと改めて思ったりした次第です。このことは書き出すと終わらなくなる(笑)。だって、他に”居たい場所”というのがないんだから。あ、ハワイがあるか(笑)。というわけで、RADWIMPSの「愛し」という曲を。じゃ、お休みなさい。