さっき、外で夕飯を食べている時に、何気なくYOU TUBEで見てしまったんですよ。沢田研二さんの「我が窮状」という曲。憲法9条を守りたい、という願いを”窮状”という言葉とかけて歌った曲。ニュースや情報では知ってましたけど、ちゃんと聞くのは初めてだったかもしれません。しれません、って曖昧なのは、聞いていたけど、そんなに鮮明には覚えてない、という感じでしょうか。
へえ、と思いつつやはりYOU TUBEをザッピング、というのかまな、あれこれ見ていたら、去年の選挙に立候補した俳優の山本太郎さんへの応援演説というのもありました。YOU TUBE、すごいな。あれもスポーツ新聞の記事でしか知らなかったんで、興味深く見てしまいました。NHKのテレビで拓郎さんと対談していた時よりもオーラがあった感じですね。
沢田さんの男気というんでしょうか。山本太郎が仕事を干された、と聞いたときからどこかで応援したいと思っていた。彼が演説するのを密かに聞きに行って、そこで配られていたチラシを友人たちに送った、という話もありました。応援も、自分から買って出たんだそうでした。演説も義理やお付き合いではなく、自分の言葉で熱弁を振るってました。あれは”伝わる言葉”だなあと思いました。
何を今頃書いてるんだ、という感じでしょ(笑)。でも、こういうことは時間が経ったから見えるという言い方も出来るんですよ。年末に選挙があったことすら忘れてしまっているような今日この頃ですし。沢田研二さんと言えばタイガースの再結成という一点に話題も集中しているみたいです。
あの人には興味がありますねえ。70年代の頃からずっとそうでしたからね。先週の「MIND OF MUSIC」で74年の「郡山ワンステップフェステイバル」のライブから沢田さんの「追憶」をかけたんですよ。74年の伝説の野外フェス。キャロルやミカバンド、オノ・ヨーコさん、サウス・ツウ・サウスやシュガーベイブなど当時のロック系バンドやアーテイストがほぼノーギャラで総出演する中に彼もいたわけです。
しかも、インデイーズから出たその時のライブアルバムにも収録されている。音はモノラルですよ。彼が了解した、ということでしょうね。70年代の人気絶頂スーパースターの名をほしいままにしていた時も、内田裕也さんがプロデユースしていた浅草のニューイヤー・ロックには参加してましたからね。「レコ大」を終わってその足で駆けつけたこともあったと記憶してます。見え方は芸能界でしたけど、ロックの世界にもいた。心はロックだった。
30年前かな。大阪のスポニチで彼のことを一ヶ月間、毎日連載で書いたことがあったんですよ。面白かったですねえ。内面と外面がこんなに違う人なのか、と思ったことは何度もありました。内側に絶対に他人に立ち入らせない核のようなものを持った人だなあと思いました。「窮状」にしても選挙の応援にしても、その”核”にあるものがさせてるんでしょう。
その一ヶ月間連載は、矢沢さん、ショーケン、沢田さんと一年一人で三年やったんですよ。三人とも面白かったです。ショーケンも大麻騒動の拘留明けのツアーの同行ルポでしたしね。矢沢さんは、アメリカに行って初めて外人を連れて帰国したツアーでした。沢田さんもそうですけど、あの原稿、どっかにないかな。ないんですよ。ルーズで。整理もしてないし保存もしてない。ああいう記事をアーカイブでまとめてくれる本屋さんはないでしょうか。
話が逸れてますね、時間もなくなってますね(笑)。こういうことを書いてるとあっという間だ。沢田研二さんを書いてみたい、という話でした(笑)。曲です。彼の「我が窮状」を改めて。明日、書くことを決めました。”ジュリーとショーケン”。読みたいでしょ(笑)。花粉は一進一退。薬に参ってます。じゃ、お休みなさい。