何だかコンサートが久々な感じでしたよ。先週がおこもりウイークだったからでしょうね。やっぱり、あの雰囲気は良いな。帰ってきた感じがする。別に自分の家じゃないですけど、あの雰囲気ね。空気というか。それは、誰のコンサートでも共通してますよ。その空間に”邪気”がない。
その人の音楽が好きで、その人達を見たくて集まっていて、同じ何かを共有している人の集まり。そういう空間をよく宗教的と言う人がいますけど、全然違うと思ってるんですよ。コンサート宗教的な集会とは全く違う。異質。本質的な成り立ちが違うんですね。
なぜか、というと、宗教的な集まりには、個人がない。集まってきている人達も個人を捨てに来ている。自分を捨てて何かに委ねようとしている。委ねることで楽になろうとしている。ステージの上の人に同化しようとしている。自ら縛られに来ている。
コンサートは違いますよね。解放されに来ているわけですから。自分を取り戻しに来ているというのかな。喜怒哀楽を発散しに来る。ステージの上にいる人は、その媒介ということで、客席の人達は、より個人になれるんじゃないでしょうか。自分の何かを確かめるというか。
というようなことを書きながら、ほんとにそうかなという自問もありますが。でも、20年前に氷室さんが、アルバム「ネオファッショ」の時に提起したコンサート会場はファシズムか、というテーマにも関係してきそうですけどね。あれはピンク・フロイドの映画「ウオール」に共感した発言だったと記憶してます。
映画の中に、ロックコンサートで、みんなが同じような”ノリ”を強要するというシーンがありました。そrが全体主義と軌をいつにしてゆくという映画だったんじゃなかったっけ。もう忘れちゃってるな。忘れちゃいけないテーマなんですけどね。そう、ロックの敵は全体主義であるべきで、ロックがそうなってはいけない、という教訓的映画でしょう。
何の話をしてるんだっけ(笑)。ゆずの横浜アリーナだ。北川さんは、大阪でインフルになって福井公演を延期したんですね。ステージでもその話をしてました。ベッドに横になって、歌えることの歓びをあらためて感じたと言ってました。ツアーは集団行動ですから、ああいう病気は大変でしょうね。
終わってからの関係者挨拶も感染防止のために中止というお詫びのメッセージカードをもらいました。無事のツアー続行を願うばかりです。でも、ロックと全体主義というテーマで改めて思い出すのが清志郎さんですね。今日の「MIND OF MUSIC」は、アルバム「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」の特集でした。
清志郎さんが、原発や君が代、北朝鮮、FM局など、そういう全体主義的な権威に対して刃向かってきたということを再認識したんですよ。ゆずも清志郎さんのトリビュートコンサートの常連ですもんね。ということで、やっと先が見えました。来週は、打ち合わせが何本かと原稿が何本かですね。明日は、お孫さんが来ます(笑)。曲ですね。ゆずの新曲「REASON」を。”老いるために生きるのはまだ早いだろう”と歌ってます。早い、と言いたい(笑)。じゃ、お休みなさい。