良かったですよ。春(だったっけ)のサンプラザ以来だったんですけど、かなり変わってました。あの時はまだ久々という気負いみたいなものも感じましたし、新しいスタッフでやっているという堅さも見えましたが、そういう感じは全くない。堂々としていて、落ち着きと自信が伝わってくる。
コンサートとしてのこなれ方も相当に変わってました。照明とか、演出。過剰なものは全くなく、音楽に合っている。この曲とこの歌を伝えるのに必要な最低限の気遣いというデリカシーのある見せ方。声は、一段と味が出てました。若い時よりも深みがあるんですね。
美声だけに頼らないというのかな。それが当たり前で、そこに何を付加するのか、という歌になっている。年輪ね。それも歌い手としての、というより実人生の中での年輪。MCも多かったんですけど、余計な話がない。去年から今年にかけて何を考え、今、自分の生きてきた軌跡をどう思っているのかが伝わるMCでした。
13年間歌ってなかった、というのがここに来て生きているんでしょうね。そういう意味では、聞く側も飽和状態になってない。今、初めて彼女のライブに来たという人も多いでしょう。こっから始まる第三章、という感じでした。彼女のようなケースも希でしょう。
ラジオ、持って行ったんですよ。終わって、青砥で軽く食事をして店を出たのが10時。でもね、同じ方向に帰る業界の先輩と一緒になってしまったんですよ。こういう時、難しいね。2人で電車に乗っていて「ラジオを聞きたいんで失礼します」とはなかなか言えない。
若い人で、2人でいるのに別々にゲームをやったり、イヤホンで何か聴いている姿を見ますよね。あれが出来ない。相手がどんな人であれ、ましては目上の人だったりすると、話の相手をしていないと失礼じゃないかと思ってしまう。こういうのどうなんでしょうね。結局、別れてラジオを聴けたのは11時を回ってました。
寒くなりました。お風邪など引かないように。というわけで、曲です。八神純子さん「夢見る頃を過ぎても」。夢は何歳まで見られるんでしょうか。同期会の夜は、夢を見まくりでしたって、意味が違うか(笑)。そうだ、あの曲の作詞は、今年なくなったDJの川村龍一さんなんですよ。彼女が、デビュー当時、東京で一緒にやっていたラジオ番組のパーソナリテイが彼でした。構成は僕だったんですけどね。うーん、なつかしい。じゃ、お休みなさい。