亡くなりましたね。59才。還暦を超えられなかった。早いですよねえ。清志郎さんも50代か。拓郎さんが”ポン”になったのも60才目前。やっぱりあるんでしょうか。厄年というのは、40代の時に話題になることが多いですけど、その先はどうなんでしょうか。ないわけはないよね。
桑名さん、倒れる直前に東京でライブをやっていて、それは、なくなった人の歌ばっかり歌うという追悼曲ライブだったんだそうです。亡くなる方が増えるに連れて歌う曲も増えて行く。意味深なライブだったんですね。自分がそっちに逝ってしまったことになりますね。
彼は関西在住ですから、そんなに接点はなかったですけど、70年代の終わりから80年代の初め頃に何度か取材で会ってますね。気の良い青年、という感じでした。歌はうまかったですね。リズムを食って行く、というのかな。急くようなブレスが独特のソウルぽさになってました。
最後のステージを一緒にやってたのがピアノの小島良喜さんなんですよね。9月に横浜のライブハウスに見に行った時のライブは、桑名さんの代替えで急遽決まったと言ってました。関西出身のミュージシャンにとっては兄貴分みたいな存在だったでしょうから、遙かにショックが大きいでしょうね。
ファニーカンパニー、東上初コンサート、日比谷野音、見たですねえ。70年代を支えた人が1人、また1人去ってゆく。自然の摂理もあったり、体調の問題ですから、仕方ないんでしょうが、寂しさはありますよ。残された人達は、自分がやれるうちにやれるだけのことをやる。多くを望まない、もう少し元気でいましょうね。
ということで。そう、大宮のマイカル、間に合う時間ではあったんですけど、レイトショー。帰りの電車が終わってしまう時間でした。新宿から深夜バス。着くのは2時過ぎ、ということが判明して断念しました。駄目かなあ。ロスのスタジオライブは現場にいましたし、テレビのドキュメンタリーも作りましたからね。愛着はあるんですよ。
桑名さん、改めて追悼。合掌です。曲は「セクシャル・バイオレット、NO.1」。筒美京平さんが書いたということが賛否両論だったことが懐かしいです。じゃ、お休みなさい。