を改めて。送る会だったんですよ。元「ロックンロールニューズメーカー」編集長、田中学さん。44才でありました。ということは消えてしまった昨日も書きました。取材中の事故でなくなってしまいました。送る会としては、5月の終わりにあったTさん以来ということになるのかな。同じTさんですね。
Tさん。もう良いか、土屋さん。元BOO/WYのマネージャーでした。彼も良いやつだったんですが、彼は51才でした。彼も早かったですけど、昨日のTさんは44才でしたからねえ。「ニューズメーカー」は、4年前かな、会社の都合で消滅してしまって、彼は、雑誌名をそのまま会社の名前にして編集プロダクションをやってました。
メジャーなバンドのツアー関係の印刷物とか制作して会社は順調だったんじゃないでしょうか。ただ、そうなってから仕事はしてなくて、時々電話で話すだけでした。最後に話したのはラルクの国立競技場の翌日かな。会場で見かけて、元気そうだったんで電話してみたんですが、それが最後になりました。
「ニューズメーカーでは、LUNA SEAとSOPHIAで組んでましたね。バンドの解散コンサートを追った連載「ラストシーン」の担当だったし、拓郎さんの肺がんからの復帰を書いた「豊かなる日々」の担当でもありました。仕事に熱のある男で「良い仕事しましょう」が口癖でした。
編集者らしい編集者って少なくなったんですよ。会社の都合とか、会社の動きとか、そういうことでしか動かない人も増えてますし、自分の作りたい頁を作る、ということに燃える男でした。それでいて、自分が出過ぎず、一緒に組んだ人を立てる、そういう意味でも編集者だったんですね。
でも、編集プロダクションになってからは仕事してなかったんですよ。いつか一緒にやりましょう、と言いながらその機会がないままに終わってしまったことになりました。この前のTさんもそうだったんですが、そういう熱のある人間がいなくなってしまうのはほんとに寂しいですよ。
昨日、涙を誘ってたのは、三重の実家から参加したお兄さんが、お父さんの手紙を読み上げた時でしたね。息子に先立たれた父親の気持ちというのは、想像して余りあります。つきあいの深かったバンドのメンバーやクリエーター、レコード会社関係者。会場には彼が作った雑誌や本が並べてありました。
雑誌、どうなって行くんだろうなあ、というのもありましたね。雑誌に未来はあるのか。そんなことを考えたりしていて、最近、ウエブ・マガジンがやってみたいんですよ。編集者としてやってみたい。僕の中にも元編集者はいますから。Tさんと、そういう話が出来ないまま終わってしまったのが心残りでもあります。
今日は冷静ですよ。昨日はやや感傷的になってましたから。だから送信に失敗したのかな。今日はどうかな。行ってくれることを。というわけで、改めて田中学さんに捧げる曲です。ライブアルバム「豊かなる一日」から拓郎さん「流星」。あのツアーの打ち上げで拓郎さんに会って「ものすっごいオーラ、足が震えた」と上ずってたのが印象的でした。改めて、ご冥福を。じゃ、お休みなさい。