二日続きの飲み会です。まあ、今日は吉祥寺まで来てくれたんで、食事に出るという感じで済みましたけど。ご足労をおかけしました、という感じかな。でも、吉祥寺ですからね。そんなにへんぴなところでもないわけですし、相手も中央線沿線だったんで、円満に決まりました。
昨日は渋谷ですからね。この差は大きいって、どんな差だ(笑)。距離の差、タクシー代の差、色々あるか。吉祥寺は電車でもすぐですし、酔っ払っても大丈夫です。というほど酔ってませんけど。ま、何がテーマという話じゃないですけど、わいわいやっているウチになんか面白いことが出来そうな気がしてくる、という学生みたいな話ですよ(笑)。きっちりテーマがある飲み会より、そういう方が緩くていいのかな、という感じです。
で、何の話だっけ(笑)。ザ・ピーナッツか。昨日ですけど。お姉さんがなくなりました。J-POP女性デユオのはしり。好きでしたね。「ふりむかないで」「恋のバカンス」「恋のフーガ」「ウナセラデイ・東京」。ヒット曲はたくさんありました。日本のポップスを海外に紹介したいという当時の渡辺プロの夢の象徴でした。
なつかしの「ザ・ヒットパレード」も「シャボン玉ホリデー」もピーナッツの売り出し作戦の一環でしたからね。渡辺プロというのは、メデイアミックスの元祖だったんです。作詞・岩谷時子、作曲・宮川泰というコンビ。オリジナルのポップスはピーナッツから始まったんですよ。
それは比喩ではなくて、「ザ・ヒットパレード」という番組は、洋楽の最新ヒットパレードを日本語で歌うというカバー番組でした、デイレクターはすぎやまこうちさんね。そう、あの作曲家です。元は文化放送だったんですが、フジテレビ開局の時に移ったんですね。彼のアイデアで始まった番組です。
そういうカバーで始まった番組の中で、オリジナルのヒット曲の第一号になったのが「ふりむかないで」だったんですよ。という話は、すぎやまさんからも宮川さんからも岩谷さんからも聞いてます。すぎやまさんは「AERA」の「現代の肖像」で書きました。岩谷さんのことは「評伝・岩谷時子物語・歌に恋して」という僕の本もあります。
というような話はいいや(笑)。でも、60年代の少年にとってはまぶしいアイドルでした。71才かあ。どう言えば良いんでしょうねえ。何はともあれご冥福をお祈りします。曲ですね。ザ・ピーナッツ。僕が好きだったのは、この曲ですね。作詞は岩谷さんじゃないですし、さみしい歌なんでそんなにヒットしなかったですけど、何か好きでしたね。「心の窓に灯びを」という曲を。さみしい少年だったんだね(笑)。じゃ、お休みなさい。