そんな言葉があるかどうか知りませんが。でも、そんな感じの雨ですね。かなり強い雨が今も降ってます。今日一日雨でした。昨日、陽水さんの「5月の別れ」で良かったかもしれませんね。5月2日、清志郎さんとhideさんとの別れの日。偶然とは言え、ロックファンにとっては、特別な日になりましたね。
今日、行きたかったライブ。言うまでもなく武道館の清志郎さんトリビュート・ロックンロールショー。コメントの中にいらした方の感想がありました。今日も”籠もり男”でした。昔、小森のおばちゃまという映画評論家がいましたが。小森違いね。一日、雨の音を聞きながら、でありました。背中が痛いや。
たまたまつけたラジオがJ-WAVEで亀田誠治さんの番組をやっていて、清志郎さんの話をしてましたね。彼は、apbankfesで清志郎さんと共演するのを楽しみにしたけれど病気で出演がキャンセルになって逢えないまま終わってしまった、という話をしてました。
彼は清志郎さんの訳詞のセンスを絶賛してました。訳詞のセンスという指摘は良いところを突いたなあと思いましたね。彼の「愛し合ってるかい」という呼びかけが実はオーテイスレデイングのお得意の台詞の意訳だったと言うんですね。それと「COVERS」を結びつける、というなるほど、という展開でした。
最後に見たのは病気の後の武道館復活祭でした。闘病前よりも声が出ている感じがして、ほんとに復活だなと思ったのが最後になったわけですね。僕は清志郎ウオッチャーじゃなかったですが、色んな印象的な場面は記憶にあります。デビュー当時、文化放送の公開録音とか出てましたからね。
あんまり口数の多い人じゃなかったんで、トークゲストというより演奏のゲストが多かった気がします。デビューアルバムの「初期のRCサクセション」のタイトルを阿久悠さんが感心していた、という話は当時、文化放送の人から聞いた覚えがあるな。ふっと思い出しましたけど。
何でかというと、”初期”というのは、当然、”中期”や”後期”があるわけですよ。それをデビューアルバムに付けるというのは、それだけ先があるという自信を意味する、すごいタイトルをつけた新人だ、ということだったようですが、「そこまで考えて付けてないよね」というオチで終わってました。
でも、ほんとに”初期”中の”初期”になったわけですから先見の明、ということになるんでしょうね。79年の大晦日の浅草ニューイヤーロックフェスで髪の毛を緑色にツンツンに立てて登場してきた時とかね。久保講堂はその後か。あれ、どっちが先だったかな。調べないといけませんが。
記憶がごちゃごちゃになってるなあ。久保講堂のRCのライブはアルバム「ラプソデイー」になった時ですね。あの時、カメラマンの井出情児に会ったんだ。甲斐バンドでもその後、一緒になるんですけど、彼とは矢沢さんの中野サンプラでも会ってると思いますね。でも、矢沢さんは76年1月だから、同じ時期じゃないか。
すみませんね、曖昧で。思い出しながら書いてます。RCの渋谷東映のオールナイトライブというのもあったな。でも、痛快だったのは、タイマーズでしょうね。タイマーズの学園祭ライブ一日追っかけルポ、というのを書いたことがあります。早稲田と駒沢ともう1カ所の大学に行きましたね。
どこの雑誌に書いたんだっけ。シンコーミュージックの「シャウト!」だ。つぶれてしまいました。僕の手元には残ってないんじゃないかな。そういうのばっかり。タイマーズが出た広島ピースコンサートのルポはありますね。不世出のロッカー。改めて追悼したいです。天国で放射能はいらねえ、と歌ってるでしょう。
hideさんはお会いしたことがないんですね。X-JAPANはTOSHIさんとYOSHKIさんしかインタビューの機会がなかったです。でも、なくなった時のことは覚えてますね。氷室さんの「炎の化石」のPV撮影でプラハにいました。訃報は撮影中に届いたのかな。氷室さんが「死ぬ理由なんかねえだろう」と吐き捨てるように言ったのを覚えてます。
その時、GLAYの「puresoul」ツアーの同行取材中で、プラハから戻ってそのままGLAYのツアーに合流したんだ。HISASHIさんがステージでギターを叩きつけて割ったという次の日でした。その時のことは「夢の地平」に書きましたが。追悼雨。日にちも変わりました。5月3日です。
というわけで、曲だ。明日は雨上がりの空、になるのかな。やっぱり「スローバラード」かな。永遠の家なき子ソングだと思ってます。寄る辺ない青春が市営グランドの駐車場で歌ってます。じゃ、お休みなさい。