これも昨日の続きですね。「正論」からこぼれるもの。そう、自分で書いておきながら、そう思ったりもするんですよ。もちろん、違法ダウンロードはよくないわけで、それによって阻害される可能性もたくさんあります。あってはいけないことなんですね。罰則も必要でしょう。
でも、それで終わってしまうことでもないんだと思うんです。じゃあ、罰則を設ければそれで解決かというとそういうことでもない。これまでも、そういう議論は何度かありました。例えば、昔は、エアチェックですよ。FMラジオが普及した時に、ラジオで丸々曲を流すと録音されてしまってレコードが売れなくなる、という議論ですね。
その後が貸しレコード。レコードを買わなくなるんで制約しようという議論がありました。その後はコピーガードですよ。パソコンでコピーされるんで、ガード機能をつけて出来なくしようという動きがありました。流れとすれば同じ文脈にあるんじゃないでしょうか。
じゃあ、エアチェックでレコードが駄目になったか。貸しレコード問題も何とか乗り越えて今に至っているわけでし、貸しレコードから大きくなったレコード会社がエイベックスでもあったりするわけです。今の日本のレコード会社は、そういう経験もしてきているんですね。
僕はどっちかと言うと、そういうことにあんまり興味が無かった。昨日の書き込みコメントにあったように、良い曲はハード面の環境変化は乗り越える、そういう環境問題よりも良い作品を生み出す、良いアーテイストと発掘する方が大事だろう、と思ってたんですね。
ただ、違法ダウンロード問題が深刻なのは、パッケージが不要になるかもしれない、という根本的な危機感が背景になってるんでしょう。このまま放置していたら、パッケージそのものがビジネスとして成立しなくなるという危機感。それは当然じゃないでしょうか。
そういう意味では両方とも正論なんですね。良質の音楽を守るために規制すべきだ、という意見と、そういう対処療法的なことじゃなくて、根本的な意味で魅力ある音楽を作る事を考えなければいけないという意見と。じゃあ、放置していて良いのか、ということにもならない。
かと言って杓子定規に取り締まって罰則を決めれば、良い音楽が広まるか、というと、そういうことでもない。もっと言ってしまえば、CDを買うことも正規ダウンロードするお金もないけれど、音楽は死ぬほど好き、という若者をどう思うのか、ということもある。
今もいるでしょうね。DJの卵とか、食うや食わずで音楽を漁るように聞いているという人たち。70年代にもいましたからね。小遣いや生活費を全部レコードにつぎ込んでしまうという若者は。そういう人たちが、罰則覚悟で違法ダウンロードしたとしても責められるか、という気もする。
じゃあ、どうするんだ、というと、それでもやっぱり正論に戻るしかない。正論じゃ解決しないという空しさはそういうところにあるんでしょうね。それは、違法ダウンロードに限ったことじゃないですけどね。常識に頼るしかない。自分の好きな音楽、自分の好きな楽しみ方を見つけるしかないんでしょうね。
というようなとりとめのないことを考えてしまいました。無理矢理着地させた気もしますが(笑)。正論をかざした後の空しさ、というのもあったのかもしれません。曲ですね。椎名林檎さん「罪と罰」を。じゃ、お休みなさい。