昨日の続きです。「ANNG」がお休みだったことを忘れて、慌てて10時に戻ってきてガックリでした。ま、それはさておき、ですが。昨日の続き。テレビ局がイベントを主催・制作することの両面について、ということになりますね。
テレビ局が番組を離れてイベントを主催する、ということは、従来の放送局の成り立ちとは違うビジネスの仕組みを持つ、という面もあるでしょう。事業収入ということになるのかな。スポンサーから入る番組の広告収入というのとは違う成り立ちと言って良いのでしょう。
一つのメデイアがイベントを主催・制作するという例自体は今に始まったことじゃないわけです。雑誌「ロッキング・オン」がやっているフェスも関係性としては近い面もあると思うんですね。ただ、片方は音楽専門のメデイアで片方は無縁に見える巨大メデイアという印象の違いは大きいかもしれません。
しれません、と冷静に書きましたけどそれはやはり大きいですよね。テレビ局がイベント?と懐疑的、あるいは否定的に受け止める人の多くがそういう生理的な反発もあるように思います。また金儲けの道具にしようとしてる、という見方もあるんでしょう。
確かに、過去、テレビと音楽というのは、そういう裏で何かが行われているという印象をぬぐえないという面もありましたしね。音楽の強引な私物化、というのかな。僕もそうだったから、テレビの仕事に消極的だったこともありました。
ただ、この十年くらいはテレビも変わってきましたし、制作者の中にも本当に音楽の好きな人も多くなってます。そういう人たちが「番組ありき」「番組至上主義」じゃないところで音楽と関わるようになればもっと面白くなるんでしょうし。片方が正義で片方が悪、ということじゃない気もします。
まあ、これからどんな風になってゆくか、なんでしょうけどね。これまで色んなリスクを背負いながら地道にライブを支えてきた人たちと共存出来るかどうかというのも大きなテーマでしょうし。結局、上から目線のイベントになってしまうのかどうかも含めて、これからでしょう。
でも、乱暴な言い方をすれば、どんな人たちであれ、新しい試みをすることはシーンの刺激にも活性化にもつながるんだと思ってるんですよ。新しいシーンに対応した、次の可能性を生み出すようなビビッドなイベントになればお客さんも増えてゆくんじゃないでしょうか。
何よりも重要なのは新しい才能を発掘することと守りながら育てること。観客とともにです。そこにライブは欠かせません。というよりライブがないとありえません。テレビ局がそんな一翼を担う存在になってくれること願うばかりです。というようなことを補足したくなりました。
今日、忘れていた締め切りがあることが発覚。慌てました。明日、レポートです。いきなり寒くなってます。風邪、引かぬように気をつけましょう。曲ですね。テレビのことを書きながら、やっぱりラジオが好きだなあ、と思いました。いきなり浮かんだチェッカーズの「涙のリクエスト」を。
来年は解散20周年か。早いな。チェッカーズの解散と尾崎の死(順番が逆だ)で80年代が完全に終わった、と思いました。でも、チェッカーズ解散発表は「ミュージックステーション」の中じゃなかったっけ。テレビ朝日は、そういう蓄積もありますね。じゃ、お休みなさい。