お通夜がありました。あ、キリスト教式だったんで、前夜式と呼ばれてましたけど。お通夜とはかなり違ってました。文字通り葬儀の前の儀式という感じで賛美歌をみんなで歌ったり、聖書の一節についての説法(というのかな)があったりでなかなか厳粛でした。
そんなに頻繁にお会いしていたわけじゃないんですけど、フラワー・トラベリン・バンドの活動再開の時に新聞の取材とNACK5の番組でのインタビューでご一緒しました。70年代には数回取材してます。同い年なんですよ。しかも肺がんですからね。何だか他人事じゃなかった、ということもありました。
喪主の息子さんがレコード会社の国際部にいらして、数年前のCHAGE&ASKAの上海公演の時にお会いしてということもありました。明日の告別式は原稿で出られないとか、ま、色々あったりして気持ちだけでも伝われば、ということでお別れしてきました。
70年代は遠くなりにけり、という感じでしょうか。その昔、明治は遠くなりにけり、と言った人がいたんですよね。誰が言ったのかと思って今、速攻で調べたら、中村草田男という俳人でした。廃人じゃないよ(笑)。そういう人がかぶっているカツラを「廃人カツラ」と呼びますがって、全然分からないでしょ(笑)。
愛染かつら、という小説があったんですけど。映画にもなりました。主題歌が”花も嵐もふーみーこーえーてー”という歌ですね。”行くが男の生きる道”っていう歌詞、違ったかな(笑)。何の話だっけ、カツラの話、じゃないか。俳人だ。中村草田男さんの俳句ね。
”降る雪や 明治は遠くなりにけり”という俳句だったんですね。速攻調べです。分かったような分からないような、ですよね。降る雪と明治とどういう関係にあるんだろう。しんしんと降る雪を見ながら、「あーあ、明治は遠くなったなあ」と慨嘆しているという句なんでしょうか。
明治時代には、もっとたくさん雪が降ったのに、なんで今はこんなに少ししか降らないんだろう、というような話じゃないね。でも、今日は、そういう雰囲気でした。”猛暑日や 70年代は遠くなりにけり”という感じかな。70年代には、こんなにしょっちゅう猛暑日はなかった、ということじゃないですよ(笑)。
フラワー・トラベリン・バンドは、70年代の伝説でしたからね。それも真実が明かされることが少ない、語れることがなかった伝説でした。長髪、ヒッピーのような若者が、ロックで成功するんだと海外に出て行って、食うや食わずの生活の中で成功をつかんだ、という数少ないサクセス・ストーリーですよ。
しかも、意気揚々と帰国したら、日本はフォーク全盛で正当な評価も受けないまま活動を休止してしまったバンド。ジョー山中さんのその後の活躍は「人間の証明」がそれこそ証明しています。70年代じゃなかったら、どうなってたでしょうねえ。
それも無意味な仮定なのかもしれませんね。誰もが、たまたま生まれた時代を生きるしかないわけで、それは、そういう時代に生まれた、ということ以上でも以下でもない、ということなんでしょう。人は生まれ落ちる時代も場所も選べない。当たり前のことかもしれません。
戦後の混乱期に生を受け、生い立ちからその時代に影を背負わされてしまった。戦後も遠くなりましたね。戦後生まれ、というくくりに変わるのが 3.11になるんでしょうか。今日で5ヶ月か。復興も放射能も含めてこれからが大変なんだと思います。世界経済も含めて、まさに混乱期に突入するんでしょうか。
それにしてもあのハイトーンのヴォーカルは衝撃的でした。彼のように海外で通用するロック・ヴォーカリストは今も出ていないように思いますし。やっぱり時代に恵まれなかったということになるんでしょう。「小説フラワートラベリンバンド」を書きたいと伝えたことがあったんですが叶いませんでした。ご冥福を祈ります。
曲ですね。「人間の証明のテーマ」か「SATORI」になるんでしょうが、僕は「SHADOWS OF LOST DAYS」という曲が好きでした。もし機会があれば。じゃ、お休みなさい。