行かれている方、多いですよねえ。昨日の非公開のコメントにも、そういう方から書き込みがありました。湘南の風はスタッフもメンバーも現地に行ってますし、レコード会社のスタッフも「僕は石巻でした」と言ってました。NACK5の「J-POP TALKIN’」のデイレクターは気仙沼に行きました。
何か出来ることはないか。誰もがそんな想いに駆られていた。今も、そう思っている人がたくさんいる。これは救いですよね。湘南の風の若旦那は、「こういう時こそ音楽家が立ち上がらないといけない」と言ってましたけど、音楽家だけじゃなくて普通に生活している一人の人間としてもそうなんだと思いますよ。
今回の震災がもし、新しい何かを生むとしたら、そういうこともあるんじゃないかとは思ってます。学生や若者たちが、そういう社会意識を持つようになった、というのかな。就職試験を通るということでしか社会的な評価が得られないと思っていた彼らが違う価値を見つけるようになった。
100社の就活を突破して入社することよりも意味のある行動がある。松山千春さんの言葉じゃないですけど「知恵のあるヤツは知恵を出せ、金のあるヤツは金を出せ、力のあるヤツは力を出せ、何もないというヤツは元気を出せ」か。そうやって自分サイズでやれるのボランティアなのかもしれません。
こういう言い方をすると物見遊山みたいに思われるかもしれないんですが、やっぱり一度は足を運んだ方が良いんだと思います、と書いてから、そうかなあというもやもやも生まれてくるんで、一概には言えないのかもしれませんが。
微妙だなあと思うこともあるんですよ。行くことは必要だし、自分の目で確かめることは重要でしょう。でも、行かない人が全部、心がないか、というとそういうことでもないんだと思うんですね。これはチャリテイということにも言えると思ってるんですね。
チャリテイは素晴らしいことですが、チャリテイじゃなことが責められる必要もない。何でお前はチャリテイをしないんだ、ということとは違う。今はそうではないですけど、一時はそういう空気がなきにしもあらず、だった気もします。
でも、そのくらい衝撃が大きかった、ということでもあるんでしょうけどね。拓郎さんの言葉を借りれば「油断」があったわけですけど。まだまだどうなるか分かりませんし。そんな時、救われた気がしたのが、「熱風」というスタジオジブリの機関誌で宮崎監督での発言だったんですよ。
「あの震災の翌日もパン屋さんがパンを焼いていてくれたから私たちはパンを食べることが出来た」。そうなんですよね。パン屋さんが、パンを焼いている場合じゃないと言って、現地に行ってしまってたら、僕らはパンを食べられなくなる。
じゃあ、お前たちだけ、のうのうとおいしいパンを食べていてそれで良いのか、という問いもあるわけですけど。果てしのない自問自答というヤツですね。それでいて、やはり行けるとき、出来るときには出来るだけのことをやる、ということかなあ、と思ったりしました。
そうだ、BEGINの「うたの日」は、台風のために中止だそうですね。残念だったろうなあ。東北は大雨のようです。二次災害が出ないことを。ということで曲だ。BEGINで「三線の花」を。津波の影響は沖縄まで及んだんですよね。”喜びも悲しみもいつの日か歌えるように”。でも、島唄メロデイは、何であんなに泣けるんだろう。じゃ、お休みなさい。