電車、空いてますねえ。と言っても朝夕の満員ラッシュには乗らない、不届き者なんで、そんなことないよ、という方もいらっしゃるでしょうけど、昼間は、そうなんですよ。今日は夜もそうだったかな。新宿から10時過ぎに乗ったんですけど、途中で座れましたよ。
これも久々に新宿の紀伊國屋書店に行ったんですけど、こちらも売り場にお客さんの影もなかったり。外食のお店が次々とつぶれてるというのは誇張じゃないでしょうね。まあ、働いている人たちが家庭に帰ったり、家族を大切にするようになるというのは悪いことじゃないでしょうけど。
東京のコンサートでも予想以上に厳しい状況だという話もありますし。映画館とかどうなんでしょうね。確かに、そういう気分になれないというのも確かでしょうし、僕の中にもそういう憂鬱さがあったりしますけど、おいしいものを食べたり、映画を見たりすることが後ろめたい、みたいな空気はどうかなあと思うんですよね。
そうだ、この話を書こうとしたんだ。「ぴあ」の首都圏版の休刊が決まったそうですね。なんだか象徴的なニュースのようにも聞こえました。情報誌の役割というんでしょうか。コンサート関係の情報がネット中心になってきた。同時に、そういう空気じゃなくなったということもあるのかもしれません。
今日、FMムサシノとい吉祥寺にあるコミュニテイFMにゲストで呼ばれて「70年代ノート」の話をしてきたんですが、そこでもそういう話になりました。「70年代ノート」は、69年に創刊された日本で最初のタウン誌「新宿プレイマップ」の話から始まってます。
僕が創刊編集者の一人だったこともあって、そういう始まりなんですが、72年に「新宿プレイマップ」が休刊してすぐに創刊されたのが「ぴあ」なんですよ。「新宿プレイマップ」という雑誌は、街の情報だけでなく、当時の街の思想や文化、みたいなものを誌面化しようとしていたんですね。
つまり、”カルチャーマガジン”だったわけです。でも、「ぴあ」は、そういう面を捨象して、情報に特化した形で成功した。そこから”情報誌”というスタイルが始まったんですね。1972年から2011年。ちょうど40年目か。時代の終わりということなんでしょうね。
今年は色んな意味で転機なんだと思いますけど、その一つということじゃないでしょうか。この間も某音楽雑誌をやめた編集者が電子書籍を作るというんで雑談してたんですけど、みんな手探りで新しい何かに向かい始めてますね。それにしてもこの閑散とした東京から何が生まれるんでしょうか。
「ぴあ」休刊。考えること、多いな。「ぴあ」のコンサート情報を見ながら、見たいコンサートの予定を手帳に書き込んでいる時というのは、僕の幸せな時間の一つでもありました。それが出来なくなるのは無性に寂しいです。
今朝の「日刊スポーツ」に布袋さんが、被災地にボランテイアで行ったという記事が載ってました。現地の人に「歌ってくださいね」と言われたんだそうです。取るものもとりあえず駆けつける。身体一つで救援の隊列に加わる。それはもちろん純粋な行為ですけど、アーテイストにはその人にしか出来ないこともあると思うんですね。
自分の立場で、出来ることをやる。その中には、”消費すること”というのもあるんじゃないかと、閑散とした紀伊國書店で思ったりしました。でも、そんな風に思いながら外食しても、おいしくないかもしれませんね。難しいなあ。
というわけで、曲は、ミスチルのチャリテイソング「かぞえうた」を。活気ある東京が戻る日を指折り数えながら。じゃ、お休みなさい。