と言っても、すみません、海浜幕張の様子しか知りません。今朝の「MIND OF MUSIC」のために昨日、海浜幕張の駅前のホテルに泊まったんですが、駅前には、後遺症がありありでした。液状化のせいなんでしょうね。道路やアスファルトに段差が出来ていて、そこを修復した後が残ってました。
もう修復してあった、というのがすごいなと思いましたよ。被災地でもそうですよね。道路が開通した、物資が届くようになった。連日、そういうニュースが聞けますし、現地の人たちの懸命の努力が伝わって、頭が下がるばかりです。
それでもまだまだ手の届かない場所もたくさんあるわけで、早く、早く助けてほしいと願うばかり。願ったり祈ったりばっかりですけど、それしか出来ないんだからしょうがない。今日、番組の中で色んなアーテイストの発言やメッセージを紹介しましたが、共通しているのは、それですよね。無力感の中で自分に何が出来るか問いかけている。
千葉は、テレビのネットがないせいもあってそんなに報道されませんが、浦安とか、まだガスも水道も止まってたりします。旭では避難世帯が500世帯もあるとか。旭は、去年、死ぬまでにもう一度九十九里を見たいというオフクロを連れて行ったところでしたからね。
旭のかんぽの宿、というほんとにビーチフロントに立っているきれいなホテルでしたけど、今は営業していないんで、きっと被害にあったんだろうなと思います。番組に寄せられたメールもそういうリアル、シリアスなものが多くて、襟を正してしまいました。
東北から避難して来られた方からのものも多かったですよ。まあ、まだ30万人近い方が、避難されているわけですから、一人一人に色んな背景がありますよね。まさか、そんな風に自分の住んでいた街を離れなければいけないとは誰一人思ってなかったでしょうし。
でも、お年寄りは強いね。やっぱり戦争体験なのかな。今日、お彼岸の墓参りに行った後、オフクロのところに行って晩飯を食べたんですけど、そういう話になりました。計画停電とかも「それがどうした」的な感じでしたし。ちょっと待てば点くんだから、的な鷹揚さですよ。
おふくろは船橋でしたけど、停電になると街中を散歩して歩いたんだそうです。銀座が焼け跡になった時に、よちよち歩きだった姉を歩かせた話とかしてましたよ。銀座の焼け跡を知ってるんだから、すごいな、という感じでした。
あんな焼け野原の銀座が見る見るうちに復興したんだから、全然大丈夫、こんなことじゃ終わらないよ、と気丈でありました、というような話をお年寄りから聞いてみると楽しいかもしれませんよ。ローソクの火の中でね。それも貴重な体験、と思いましょう。
さて、明日は雨だそうです。放射能注意かな。”ただちに人体に影響が出るわけじゃない”というのは、将来的には出る、とも取れるわけですから。何だかどっと疲れが出てきてますね。気分的なものでしょうか。
曲ですね。今日、かけようかなあと思ったんですけど、家を失って帰れない人には酷かなと思ってやめました。いきものがかりで「明日に向かう帰り道」を。この記憶をどう伝えるか、という歌でもあります。じゃ、おやすみなさい。