と書いてしまってから、これは長くなるから今日は無理かなといきなり腰砕けであります(涙)。時計を見たら結構遅かったですし。明日は「J-POP列伝」の原稿も書かないといけなくて、そんなに遅くまで起きてられない感じです。
タイトル詐欺ね。宇多田さんは先週の「J-POPマガジン」のインタビューで、休養するということが妙な話題性になって宣伝に使われたくないという話をしていて「閉店詐欺みたいだから」と言ってましたけどね。閉店です、と言っておいて半年間くらいセールをやるというあれね。
閉店と言ってたけどまだやってるんだ、と思うことはしばしばであります。そういうことはしたくないと言ってたんですが、何の話だっけ。そう、タイトルに偽りあり、という感じになってるということですね。ジョンの命日であります。
はっきり覚えてますね。甲斐バンドの武道館だったんですよ。僕はどっか地方から戻ってきて、そのまま武道館に入ったら、隣に座った甲斐バンドファンの代理店の人が耳打ちしてくれました。甲斐さんが「逝ってしまったジョンレノンのために」とMCしましたね。
そう、その時だ、楽屋で彼が「時代が必要としなくなった人間は死ぬんだ」と吐き捨てるように言ったのが胸を打ちました。死亡記事が載った夕刊を破ったのかな。忌々しいという感じじゃなくて今にも泣きだしそうに極まって言葉にした感じでした。追悼とか、そういう感傷的な雰囲気じゃなかったです。
団塊の世代というのはビートルズ世代とも呼ばれるわけですから、影響力がないわけがない。音楽だけじゃなかったですね。彼が日本の学生運動のヘルメットをかぶってデモに参加している映像は有名ですけど、同じ時代を生きた人という感じですね。
でも、僕の中では、「主夫」というが大きかったです。音楽を超えた友人、みたいな気がしていた時期もありますし。もちろん会ったこともステージを見たこともないですけど、同じ空気を吸って、同じ何かに怒って、同じように悩んでいた、そんな人のように思えてました。
宇多田さんの「人間活動専念」宣言も、僕の中ではジョンと重なりました。アーテイストには二つのタイプがあるんでしょう。ストーンズみたいに、パブリックイメージも引き受けてそれをビジネスにまでつなげることのできるプロフェッショナルと音楽をやる以前に人間でありたいと思う人と。
宇多田さんの横浜アリーナを見ていたら、ジョンの「ACCROSS THE UNIVERSE」を歌ってました。武道館ではスーパーライブがありました。みんなの中でジョンは生きてるんだと思いますよ。それぞれにとって色んな存在なんでしょう。愛と平和の人、というのが一般的ですけどね。
そんな立派な人でもなかったんじゃないかなあ、と思っていたい気もします。不良だったことも革命家だったことも酔っ払いだったこともある。もちろんただのロックキッズだったりスーパースターでもあったわけで。そうやって変わり続けた人間らしい人だったんだろうなと思うんですよ。
いずれにせよ、生きていれば70才。どうなってただろうな、と思いつつ僕らも年老いてゆくわけです。曲ですね。こういう親愛の情もあるわけです。真心ブラザースで「拝啓ジョンレノン」を。もっと書きたい気がしてますが、おやすみなさい。