岡林さんの曲ですよ。1970年発売、アルバム「見る前に跳べ」収録。今日、NHK文化センターのカルチャー講座で流そうと思って、家のCDを見たら中身が入ってない。先週は持って行くのを忘れましたからね。ねえ、忘れる、家にあるはずだけど見当たらない、開けてみたら中身がない。
そんなことばっかり。でも、テーマ的にあった方が良いんで、渋谷のタワーに行ってみたわけです。そう言えば去年、デビュー40周年とかで色んな再発があったな、と思ったんですが、案の定、そういうタイトルのアルバムが出てました。
1970年4月12日、文京公会堂、24日、渋谷公会堂というライブアルバムでありました。前者のコンサートタイトルは「ロック叛乱祭」。そういう時代だったわけです。ロックは叛乱の音楽だった。バックははっぴいえんどじゃなかったですね。のちにはちみつぱいのメンバーになるキーボードの渡辺勝さんたちの3人組。グループQという名前でした。
はっぴいえんどよりも隙間があって、あの曲の意志の強さみたいなものがより強調されてましたね。でも、久々に聞いたんですが、やっぱり”今ある不幸せにとどまってはならない”というフレーズはすごいです。これを歌ったら、もう次へは行けないと思ってしまうのも分かる気がしました。
”私たち”ね。今日のテーマが「イメージの詩」と「傘がない」~70年代フォークと世代の断絶~」でしたから、その後、どんな風に拓郎さんに流れが移ってゆくのかという中でかけたという面もあったんですが。そう、”私たち”の岡林さんと”私”の拓郎さん、という対比ですよね。
”私たちの望むもの”と歌った岡林さんと”私は今日まで”と歌った拓郎さん。「私たちの望むものは」の後に「イメージの詩」をかけたら、二人の違いが改めて鮮明に分かった気がしました。でも、あの時代にしかなかったことや起きなかったこと、ほんとにいろいろあります。
「吉田拓郎・終わりなき日々」の拓郎さんの話にはその頃のことを今、どう感じているかという話もかなり出てきます。あ、予約は、直接、角川書店にお聞きいただけると効果的だそうです。すみません、お使い立てして。
でも、昨日も書きましたけど「拓郎のこと書いても売れないんじゃない」みたいには言われたくないわけです。と書いていて外で猫が喧嘩してますよ。珍しい。先月、前の家で飼っていた猫がやはり立て続けに死んだりして、猫の姿を見ることがめっきり少なくなってました。
前の家は多い時は5匹飼っていたのかな、それが、今は二匹だけ。ご主人が落ち込んでいるという話はカミさんから聞きました。僕のところでも、時々、また、飼おうかという話も出るんですけど、彼女が「あの悲しい気持ちはもう味わいたくない」ということでそのままになってます。
今から17,8年経ったら、こっちがどうなってるか分かりませんからね。何の話だっけ、そう猫だ。”猫本”は、なかなか難しそうです。代わりに、と言っては何ですが、「70年代ノート」が形になりそうです。某出版社の新書。でも、70年代全般じゃなくて、前半の話だけで書けないかという注文がついていて、来週打ち合わせです。
やっぱり、その頃の話が読まれるのかな。当時の空気とか、心情とか。だから、岡林さんのその頃の未発表音源が今頃あんなに発売されるんでしょうね。音楽だけ単体で聞いても伝わらないこともあるでしょうし、そういう意味の本になるんでしょうか。でも、ほぼ書きおろしになりますね。
今日は、かなり遠いところからご参加頂いた方もいらして、恐縮モードです。至らない点、多々あったと思いますが、お詫びします。でも、あんまりお詫びしすぎても鳩山さんみたいになってしまいますからね。驚きました。改めて「私たちの望むものは」を。じゃ、おやすみなさい。