です。そう、沖縄が気になってますね。昨日書いたものを読み直して、ふっと思い出したことがあるんで、それを書きます。改めて、初めて沖縄に行ったのはいつだったんろうと記憶を引っ張り出していました。
沖縄フォークジャンボリーというイベントがあったんですよ。あれは何年だったんだろうと思って、検索したら、出てきましたねえ。すごいなあ。ずーっと引っかかっていたんですけど、当時は手帳も使ってないくらいのその日暮らしだったんで、何も手がかりがなかったんです。
今、何気なくネットで調べたら、出てきたんですね。1976年の大晦日、とありました。会場は海洋博の跡地だったんじゃないかな。大晦日のオールナイト公演でした。それは覚えてましたけどね。会場で友部さんのインタビューをしたんだ。
友部正人とか、中山ラビさんとか、高田渡さんとか、中川五郎さんとか出てたんですね。あんまり覚えてない。解散直前の古井戸がブルースをやってたのは覚えてるな。途中で雨が降ってきたんだ。大晦日、ミュージシャンの中には船で行った人もいたような記憶があります。
僕は、飛行機で行って、そのまま会場で完徹してそのまま泊まらずに元旦の朝に帰ったんだ。あれ、その足で岡林さんの晴海のイベントに行ったんじゃなかったかな、いや、記憶違いかも。曖昧になってます。それも調べれば分かるでしょうね。
その沖縄のことは、どっかに書きましたねえ。その頃、共同通信の原稿を書いてましたから、そこで書いたように思うのですが、残ってないんですよねえ。まさか、こんなに長い間、こういう仕事をするとは思ってませんでしたから。
とりあえず、これなら自分に嘘をつかずにやれるという程度にしか思ってなかったんだと思います。でも、それが初沖縄だったのかな、そこがはっきりしない。当時、文化放送の「ダイナミック・ジャンボ」という番組の「ニュース探検」というコーナーのレポーターもやってたんですよ。
その番組で「海洋博その後」というテーマで放送したことがあって、それがいつだったのかなあ。海洋博は、75年の7月から76年1月までだった、と今、調べましたからね。海洋博が予想を下回る結果となって、現地の民宿が被害を被っているというのが取材の狙いでした。
ということは、76年なんですね。だとしたら、そっちが初沖縄か。まだクルマが右車線を走っていた時代です。倒産しかかった民宿のオヤジさんが酔って「沖縄を見捨てんでください」と土下座をした光景は今もはっきりと思い出せます。
鳴り物入りの海洋博も結局、本土資本が儲かっただけで、地元還元がなくって、投資ブームだけが空回りして終わったんですね。そういう意味では、色んな意味でずっと本土のしわ寄せを受けてきたのが沖縄です。
でも、日本の国の中で一番行ったのが沖縄かな。大阪とかは別として広島か沖縄でしょうね。70年代から80年代にかけて「沖縄病」という言葉も流行りましたからね。そう、「沖縄フォークジャンボリー」は、76年の大晦日か。それが分かっただけでも、今日は収穫だった感じです。
沖縄話、機会があればまた。というわけで、曲ですね。佐渡山豊さん「どうちゅいむにい」という歌を。彼のことを”沖縄の吉田拓郎的な扱われ方をした”と書いて、本人から抗議文をいただいたことがありました。客観的には、というニュアンスだったんですが。不本意だったんだと思います。申し訳なかったです。沖縄、そろそろ梅雨入りですね。じゃ、おやすみなさい。