70年代話が続きますねえ、って自分で続けてるだけじゃんね(笑)。「70年代ノート」というのは一昨年から「毎日新聞」の木曜日の夕刊に連載していた僕のコラムのタイトルなんですね。コラムというのかエッセイというのか。新聞記事で毎回写真入りで70行というのは長い方になるんじゃないでしょうか。
始まったのが一昨年の10月。それが9月いっぱいで終わりました。丸二年、最終回は101回。区切りも良いし、ということで後半はかなりはしょりながら終わりました。でも、新聞連載で丸二年は、これも長い方でしょうね。当初一年の予定だったのが、好評でもう一年延びました。
タイトルが「70年代ノート」ですからもちろん70年代の話を書いているわけですが、始まりは69年からですね。69年から79年まで。最終回は79年12月31日、70年代最後の大みそかの話でした。その日、拓郎さんが日本青年館でテレビの生中継ライブをやってます。
その足で浅草国際劇場の「ニューイヤーロックフェス」に行ったんですね。RCが髪の毛ツンツンのド派手衣装で登場し、ダウンタウンブギウギバンドが過去の歌を捨てると宣言し、ファイテイング・ブギウギバンドと名前を変えた日でした。
その日のことが最終回。69年から79年という丸々の10年間の出来事を順に書いていったわけです。サブタイトルが「新宿・フォーク・深夜放送」。まあ、自分の仕事の場面でもありました。厳密に言うと70年代後半からはフォークよりロック色の方が強くなってはいましたけどね。
そもそもの発端は、毎日の学芸部のデスクと話していたところから生まれたんですね。たまたま彼はみのもんたさんの取材をしていて、その中でみのさんが「ラジオをやっていた頃は構成作家が書いたものを読んでいただけだった」と話していたと言うんですね。
で、彼が書いたその記事を見せてもらってい、「これ、僕」と言ったら、彼は何のことだか分らなかったんですよ。僕は、昔、「セイ!ヤング」とか、みのさんの番組の台本を書いてましたから。あんまりその頃の話をしないんで、彼は知らなかったわけです。
「そういう話、書けば」と言われてスタートしたのが「70年代ノート」でした。ですから、自分で見聞きした話がほとんどです。新宿のタウン誌「新宿プレイマップ」のことや「セイ!ヤング」のこと。フォークからロックに変わってゆくころの音楽シーン。自分でも再確認したことがたくさんありました。
70年代初めのころのことはいろいろ書かれてますけど、10年を通して体系的かつ体験的にたどったものは少ないと思いますよ。101回。後20回くらいあればもっと書きこめたんですけどね。「風とフォーク」がリアルだったのは、そういう最終回モードもあったかもしれません。
でね。これをどっか単行本にしてくれなかなあ、と思っているわけですよ(笑)。後、20項目ほど書きくわえれば、120項目。見開きだと250頁くらいにはなるでしょうからね。さ、いかがでしょうかって、叩き売りだね(笑)。もし、ご興味がおありでしたら、ご連絡いただけるとうれしいっす。ま、あんまり期待しないようにしますが(笑)。
というわけで、一段落しました。もし紙面をご覧になっていただけた方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。曲ですね。「70年代ノート」ねえ。ノート、メモ、ビラ。机の上の書き置き。文面は「旅に出ます」。「路地裏の少年」だ。浜田省吾さん。あの歌は70年代そのものですね。良い所に着地しました(笑)。じゃ、おやすみなさい。