起きて何気なくテレビをつけたら、広島の平和式典のニュースをやってました。こともあろうに、麻生首相があいさつしてました。非核三原則を守りとか言ってましたけど、武器輸出解禁をぶち上げてるんでしょ、そういうのを自己矛盾というんじゃないのかな。核兵器は一般的な武器とは違うとか言いそうですね。
話がそれました。でも元々好きな政治家じゃないんで、きつくなるのは仕方ありません。あんまりそういうことは書かないことにしてますが。広島の8月6日は、政治という次元を超えていると思ってるんで、今日はそういう話です。もちろん長崎も同じことですけど。
8月6日の広島は、20年前に行きましたね。広島ピースコンサートが行われていた時です。被爆者養護ホーム建設をテーマにしたチャリテイコンサート。10年続きました。大友さんとこうせつさんが音頭を取ってました。あのコンサートはいろんなことを教えてくれましたよ。
その一つが8月6日が、どういう日かということでした。頭ではわかってましたけど、その日、広島にいる、行くという機会はなかったんですね。違ったんですよ。何でしょうね、あれは。街中の空気が変わる。厳粛になる。アスファルトの継ぎ目なんかからもオーラが立ち上っているような気がしたんですね。
ああいう経験は初めてでした。それが死者の霊というようなことなのかは僕にはわかりませんけど、確かに空気は違いました。これがこの街なんだなあと実感しました。ひとつの街が一瞬にして全滅するということがどういうことなのか。当たり前ですけど、SF映画とは違います。
ニュースを見ながら、そんなことを考えていたわけです。というようなことで、そんなに天下国家を論じるつもりもないですが。でも、今朝の毎日新聞の「記者の目」という記事は良かったなあ。井上さんという広島支局の女性でした。
テーマは被爆された方の取材で感じていることだったんですが、拒否されることについて書いていたんですね。あまりに重い記憶なので、語りたがらない人も多い。何度取材を申し込んでも断られる。その時に思うことを書いていたわけです。
新聞の記事は、基本的に取材出来たことを書いてます。僕らもそうですけど、インタビュー出来たことから始まるわけです。でも、そういう土俵に上がりたがらない人も多いわけで、取材できたことばかりで成り立っている情報には、その人たちの心情が抜けてしまうことになります。
その記者の人は、そこを自分のもどかしさや恥ずかしさとして書いていたんですね。結構、泣きそうになる記事でした。こういう新聞記者がいるんなら、新聞はまだ大丈夫だ、とオヤジっぽく思ってしまいました。オバマ大統領の発言もあるんでしょう、今年はいつもと少し空気も変わってますね。
そう、三宅一生さんが、被爆体験者だというカミングアウトがありましたね。みんな先が長くないと思い始めていることもあるんでしょうね。全然話が違いますが、大原麗子さんの孤独死は、悲しかったです。ということで、今日の曲か。浜田さんで「A NEW STYLE OF WAR」を。そう、逃げる場所はないんですよね。じゃ、おやすみなさい。