ニッポン放送が毎年やっている「あの素晴らしい歌をもう一度」というオムニバスコンサートがあるんです。昨日、ニッポン放送のおひざ元、有楽町の東京国際フォーラムで行われました。そこに岡林さんが出たんですよ。
「あの素晴らしい歌をもう一度」というのは言うまでもなく加藤和彦さんと北山修さんが歌ったフォークニューミュージックのスタンダード曲「あの素晴らしい愛をもう一度」から来てますね。北山さんはもちろん出演してました。
司会はニッポン放送の上柳昌彦さん。時々北山さんも加わったり代わりをつとめたり。割とゆるい仕切り。それがいい感じを出してました。他には常連の杉田二郎さん、イルカさん、森山良子さん、南こうせつさん、清水ミチコさん、そしてクミコさん。
という顔ぶれの中に岡林さんの名前があった。え、と思いました。彼が京都に引っ込んでからそういう70年代の人たちの中に出てきたことがあったかな、と思ったんです。しかも国際フォーラムですよ。そんなに大きいところも何十年ぶりでしょう。
昔、武道館でフォークコンサートが行われていた頃以来のはずですね。今年は「山谷ブルース」から55年。ツアーも始まってます。ツアーはどこかで見せてもらうつもりでしたが、国際フォーラムで見たい、と思いました。
2021年に「最後のアルバム」だろうと発売した「復活の朝」の時に京都でインタビューしたんですね。当時は「J-POP LEGEND FORUM」という名前でしたけど、FM COCOLOの番組で5週間特集を組みました。
それだけじゃ飽き足らなく手て60分の特番も作ったんですね。それが民間放送連盟賞に近畿地区大会最優秀賞、全国大会で優秀賞をもらったりしました。あの時はコロナど真ん中でライブどころじゃなかったですからね。
もう見ることはないのかもしれないな、と思ったこともありました。あの時のお礼も兼ねないとと思って出かけたわけです。彼も7月に77歳になりました。同い年ね。でも、ステージに立っている時はそういう感じじゃなかったです。
彼が登場したのは二部の休憩明け。北山さんが「むなしさについて」という講義をして「お待ちかね、岡林信康!」と紹介して登場。いきなり自分のことを「神様です」「お賽銭ちょうだい」と笑わせてつかみはOKという感じでした。
やっぱり初めての大会場ということで緊張しているような空気もありましたけど、それがぎこちなくない。自分の空気感で歌っている。「ミッドナイト・トレイン」「山谷ブルース」「26番めの秋」「君に捧げるラブソング」という4曲。
自分のデビューした時のこととかその後の音楽遍歴を冗句を交えながら話してゆく。若い時のような、と言っても若い時を知っている人の方が圧倒的に少ないでしょうけど、枯淡の味、という感じでしたね。
もともと美声の人ですから、そんなに声を張らなくても通る。若い時にはなかったしっとりしたしみじみさが加わっている。40分という時間が前後と違う流れに中にありました。77歳。老けた、という感じはなかったです。
もちろん、頭は薄くなってましたけど(笑)。鏡を見ながら頭の薄い自分の顔プーチンに似てきたとか、まだバイデンに似た方がいい、とかいいつつ「バイデン岡林と呼んでくれ」というオチを聞かせたり、話術も巧みでした。
名前は知ってるけどライブは見たことがないという「伝説」の人。今の姿の方が人間味を感じました。終わってからNACK5の銀座スタジオで坂崎さんの番組にゲスト出演。スタジオを表敬訪問、無事に会えました。会えて嬉しかったです。
そうだ、ライブではクミコさんが素晴らしかったんです。歌は「ヨイトマケの唄」。その話はまた。今日は岡林さんの「君に捧げるラブソング」を。じゃ、お休みなさい。
昨日、GRAPEVINEの新作アルバム「Alomst there」が発売になりました。前作「新しい果実」から約2年半。FM NACK5「J-POP TALKIN’」でもインタビューしました。今週の土曜日が完パケ。明日、台本にします。
GRAPEVINEは結成が93年。田中和将さん(V/G)、亀井亨さん(D)、西川弘剛さん(G)の3人組。今年は30周年。その時は大阪。メジャーデビューしたのは97年。新作アルバムは18枚目。アルバムチャートの最高位は99年の二枚目「Lifetime」です。
と言ってもそういうチャートや数字では測れない存在感。バンドとはどういう集団なのかを音と演奏で見せてくれる職人集団、孤高のバンドと言っていいでしょう。新作アルバムは、初めてキーボードの高野勲さんがプロデユサーとしてかかわってます。
ギター・ベース・ドラムの息の合ったアンサンブルにシンセサイザーの音のイマジネーションが加わって言葉の奥行きをより深くしている。「新しい果実」の続編でありながら違う面を見せてくれる。
と言っても初めてインタビューしたのが前作の「新しい果実」でした。それまでも妙にこびない確かなバンドだなあと思いつつ、歌っていることがどこか抽象的。あえれ分かりやすさを拒んでいる。何となく取りつく島がない感じがしてたんです。
それが変わったのが前作でした。「ほんとに遅ればせながら面白いバンドだなあと思った。一曲目に「ねずみ浄土」という曲があったんです。民話の「おむすびころりん」とフランスの作家、カミユの「ペスト」が一緒になってる感じでした。
何だこの曲は、と思って色々聞き直して、そういうことだったのか、と思った。売れるとか売れないという尺度の外にいるために切磋琢磨しているバンドだったと思ったんですね。あえて抽象的なことを歌っていた。
それがより深みを増していた。ギリシャ神話や日本昔話や旧約聖書の中に出てくるような言葉や比喩や登場人物が時にはシニカルだったりコミカルだったりしながら歌いこまれていて、それが批評性に富んでいる。それに気づいたのが大きかったです。
新作アルバム「Almost there」もそんな含蓄のある曲ばかり。「ねずみ浄土」の続編のような「雀の子」には小林一茶も出てくる関西弁のやさぐれオヤジの歌なんです。かと思えばシェイクスピアやLGBTまで登場する。
関西弁がこんなにグルーブのある言葉として歌われるのも珍しいでしょう。アメリカのソウルミュージックの泥臭さを関西弁で表そうとしてるんでしょう。歌詞を見て検索しながら聴くとより面白くなるというアルバムです。
で、発売に先駆けて14日にライブがありました。Zepp新宿。歌舞伎町のど真ん中。初めて行きましたけど、びっくりしましたねえ。昔のミラノ座のところに立っている超高層ビルの地下4階。ライブハウスとは思えない豪華さ。
バーカウンターが何か所もあったりね。こんな深いところに作ってどうするんだ、というくらい。何かの時のシェルターなのかと思いました。歌舞伎町。すごいです。以前のヤクザっぽさとは違う猥雑さは経験したことのない不気味さでした。
というのはこっちがジジイになった証拠ではありますが(笑)。でも、GRAPEVINEには妙に似合ってました(笑)。アルバムのツアーは10月27日の東京は渋谷公会堂です。というわけで、曲ですね。関西弁、「雀の子」を。じゃ、お休みなさい。
いきなり涼しくなりましたね。身体が戸惑ってるのが分かります。寝る時もタオルケットじゃ寒い。風邪ひくんじゃないかと心配になるくらい。こういう時に夏の反動が出るんで要注意なんですが、それとは別に「野音」、気持ち良かったです。
スタレビの「夏祭」シリーズのファイナル。去年からやっている通常のツアーとは違う野外メニューでした。二三日前までの天気予報はかなり怪しかったんですけど、最高でした。開演前は秋空が広がって、陽が落ちても心地よい風が吹いてました。
野音は今年の4月のBEGIN以来。今年は野音100周年で夏も色々な企画コンサートがあったりしましたが、暑くてどうにもならない。全部パス。野外引退を決め込んでました。そういう暑さは無縁。「緑陰」という感じ。これぞ野音という夜でした。
スタレビは何の予備知識がなくても楽しめるコンサートという意味で稀有なバンド。ヒット曲を聴きに行くというよりコンサートそのものを楽しむことが出来る。根本さんのMCやお客さんのあしらい方や演奏の合間のアクションもそう。
全てがお客さんに楽しんでもらいたいという一点にある。それを自分たちが楽しんでいる。セットリストもそうですね。しかもWOWOWの生中継も入っていた。そういう色んな要素が願ってもないお天気も相まって「最高の野音」となってました。
若いバンドの野音は、さあ、こっから行くぞ、という勢いや旬の熱気が感じられる場ではありますけど、そういう野音じゃなかった。年齢を超えてゆったり楽しめる。かといってじっくり聴くというコンサートでもない。
全く逆ですね。「夏祭り」ですからね。基本はサンバ。ホーンも入ったサンバ・スタレビ。自然に身体も揺れてくる。でも、エネルギーがほとばしっているという感じじゃない。程よい心地よさ。大人っぽいけど茶目っ気も余裕もたっぷりでした。
今年の夏、フジロックに出て予想してなかった大うけになったんでそうです。そうだろうと思いました。今の若いバンドにはこれだけの演奏力はありませんし、エンターテイナーという意味でもこんなにサービス精神に富んだバンドもいないでしょう。
一昔前のロックファンはどこか頑なでしたし、エンターテイナー的な人たちには優しくなかった。今は違うでしょうからね。色んな音楽を楽しむ柔軟性もあるし目も耳も超えている。曲を知らなくても楽しむセンスも身に着けている。
親の世代に対してのリスペクトもあるでしょうからね。矢沢さんや桑田さんのようなスーパースターにはない親近感もあったんじゃないでしょうか。来年の夏フェスは彼らが席巻するかもしれませんよ。
野音100周年。これぞ「野音」という空気に思わず昔のことが走馬灯のように浮かんで来てしみじみしてしまいました。何しろ、最初に行ったのはデモでしたからね、60年代半ばです。とんでもない時間が過ぎてしまいました(笑)。
そうだ、根本さんのMCの時に、虫の鳴き声が聞こえたんですよ。あれには感動しました。野音ならではです。ビルの谷間の虫の声、そして周囲の深い緑。野音の改装であの樹を切るとか切らないとかという議論があるそうです。
神宮外苑がまさにそうですけど、都市の緑化が求められる時代に逆行している。虫の鳴き声が聴けるコンサート会場が都心のど真ん中にあることがいかに貴重か。企業の利益と街の未来とどっちが大事なんだ。
というわけで曲ですね。虫の声の中で歌われたバラード「Endless Dream」を。じゃ、お休みなさい。
FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」の10月の特集です。9月の特集「高橋研と小山卓治」は無事に収録しました。9月に出る予定だった小山さんの新作アルバムが遅れていて間に合うかと少し心配でしたけど、何とか2曲、オンエアできます。
二人ともデビュー40年以上。メジャーでデビューして今はインデイーズで自分のレーベルからの新作が出ました。同じ時代を生きてきたほぼ同世代のシンガーソングライターの新作。紹介される機会が多くない二人の今を伝えることが出来ました。
で、10月になります。あまり取り上げられることのないテーマでJ-POPを語っていきたいというある種のデイスカバー・J-POP。クミコさんと加藤登紀子さんの二人を軸にしてシャンソンを見て行こうという一か月になります。
クミコさんは7月に「時は過ぎてゆく」と「ヨイトマケの唄」の2曲を両A面シングルとして発売しました。10月と11月に「わが麗しの歌物語・銀巴里で生まれた歌たち・時は過ぎてゆく」というコンサートを行います。
「銀巴里」というのは銀座にあったシャンソンのライブハウス。伝説のシャンソン喫茶。「LEGEND CAFE」はそれまで10年続いた「LEGEND FORUM」を街中の喫茶店で音楽を語るような番組にしたいと4月に改題したんですね。
銀巴里は1951年に開店、美輪明宏さんや金子由香利さん、名だたるシャンソン歌手がホームグランドにしていた殿堂です。クミコさんは1981年にオーデイションに受かって歌うようになったのがプロの第一歩でした。
加藤登紀子さんは学生時代の1965年にシャンソンコンクールで優勝することでプロになりました。シャンソンを下地にしながら日本語の歌の可能性を求め続けてきた人ですね。先だって、日本訳詞協会の会長さんになりました。
J-POPというのは西洋の音楽に影響された日本語の音楽、だと思ってるんですね。だた、「西洋」の中で語られるのはアメリカやイギリスがほとんど、実はフランスの影響も大きかったということくらいは知ってました。
2006年かな、「毎日新聞」で作詞家・岩谷時子さんのことを連載で書いたんですね。「歌に恋して・評伝岩谷時子」という本にもなってるんですけど、その時にシャンソンとJ-POPというテーマはあるなと思ってました。
「洋楽」を「日本語」で歌うということで言えばアメリカンポップスよりもシャンソンの方が歴史も長い。岩谷時子さん、なかにし礼さん、ともにシャンソンの訳詞から作詞をするようになった人です。と言っても僕は門外漢ですからね。
クミコさんと加藤登紀子さん、お二人にそんな話をお聞きすると「シャンソンとJ-POP」「大人の歌」という新しい視点が見えるかもしれない。そんな特集です。今日、クミコさんの収録を終えました。でも、準備が大変でした。
こういう曲を流したいという希望がクミコさんから届いたのが一昨日の午後。僕はほとんど門外漢ですし、その曲がどんな曲で歌っているのはどんな人かを調べることから始めないといけない。泥縄の一夜漬け。受験勉強みたいでした(笑)。
「ヨイトマケの唄」は、美輪明宏さんの作詞作曲。道路工事の人夫さんの掛け声が歌になってる。もうご存じない方の方が多いでしょうけど、道路を固めるために太い丸太に滑車をつけて左右のロープで引っ張り上げてドスンと落とすんです。
”お父ちゃんのためならエーンヤコーラ””お母ちゃんのためならエンヤコーラ”という掛け声。労働歌ですね。美輪さんの近くにそういう方がいたことから生まれた歌。泉谷さんが最初かな。その後、桑田さんや槇原さんもカバーしてます。
今は違いますけど、「土方」という言葉がいけないと放送禁止だった時代もありました。それをクミコさんが歌った。女性のカバーは初めて聞いた気もします。聞きごたえありました。この曲を紹介した二週間と言ってもいいかもしれません。
シャンソンは「絶滅危惧種」と彼女は言ってましたけど、どんな風に聞かれるかなと思いながらです。というわけで、その曲を。クミコさんで「ヨイトマケの唄」。じゃ、お休みなさい。
一昨日、信越本線という名前もなくなりました、と書いてしまいましたけど、なくなってなかったです。昨日、帰りの新幹線の中で列車に置いてあった情報誌を見ていて知りました。なくなったのは軽井沢から篠ノ井までした。
高崎から横川までと篠ノ井から直江津までは信越本線のまま。軽井沢から篠ノ井までは「しなの鉄道」になった。その印象が強かったんで「なくなった」と書いてしまったんですが、失礼しました。最近、そういう分断路線が結構あるんだそうです。
分かりにくくないんでしょうか。僕らの子供の頃、信越本線は人気の路線だったんですよね。北陸新幹線が出来る前は、横川・軽井沢間のアプト式区間もありました、と言ってもご存じない方の方が多いでしょう。
日本で一番勾配がきつい区間だったんですね。線路の真ん中にもう一本、歯車のレースが敷かれてる。機関車の車輪にもそれにかみ合うように歯車がついていてそのかみ合う力を借りて上ってゆくという方式でした。
しかもその間に短いトンネルが数十と続いてる。いくつもの闇を抜けゆっくりときしむように昇って行った先に待っているのが軽井沢だった。しかも高度が上がるにつれて気温が下がって涼しくなってゆく。避暑地に来たなあと思える場所でした。
とここまで書いて、僕は何を書いてるんだろう、と(笑)。元鉄道少年が顔を出してしまいました。先日、取り掛ったばかりでなかなか捗らない「お片付け」をしていて押し入れの中のぼろぼろの段ボールを見つけたんです。
今までの引っ越しでも開けないままになってたんでしょうね。中を見たらなんと「鉄道ピクトリアル」という鉄道雑誌。1957年から1963年まで各一年分が合本されてました。小学生5年から高校1年かな。
そんなに取ってたんだ、と自分で驚きました。本はひもで縛ってあったんでそのままですけど、開けたら色んなことを思い出すかもしれませんね。今はやりませんけど。すごい時代ですよ。東海道線がようやく大阪まで電化したばかりの頃です。
それもあったんでしょうね。「信越本線」という名前に妙にひっかかってしまった。高校生の時、友達と一緒にアプト式区間を歩いたことを思い出しました。ポップス少年と鉄道少年。両方だったんですね。だからツアー取材が好きなんだ(笑)。
ひょっとしてこの先、突然、先祖返りするみたいに鉄道ジジイになったらどうしよう(笑)。ブログのタイトルを変えましょうか。「猫の無賃乗車」、昔風に言うと「キセル」(笑)。すごいな「猫のキセル」。長火鉢が出てきそう(笑)。
ドテラを羽織って意地の悪そうな猫がメガネをずりおろして横座りしながらキセルをふかしている。芸者置き場のやり手ばあさんって、何の話だ(笑)。というわけで信越本線は存続してます。曲ですね。松田聖子さん「風立ちぬ」を。
歌のイメージは堀辰雄さんの「風立ちぬ」。軽井沢のサナトリウム、結核療養所が舞台。信越本線がロマンテイックなイメージになった要因かもしれません。じゃ、お休みなさい。