「PANTAさん」か「PANTA」のどっちにしようか一瞬迷ったのですが、「PANTA」にしました。番組のタイトルもそうです。会話の中では「さん」ですけど、タイトルは少し改まって背筋を伸ばしてみました。
FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」の2月の特集ですね。去年の7月に
73歳の生涯を終えた不屈のロッカー、2月5日に頭脳警察のアルバム「東京オオカミ」が出ます。追悼のコンピレーションアルバムじゃない真っ新な新作です。
肺がんの闘病中だった去年、奇跡的に体力が回復した時期があって、その間の一か月で集中的に歌入れしたという文字通りの遺作。今まで聞けなかった新しい音楽にも取り組んでます。最後まで音楽に情熱を注いでいた表れの一枚です。
2019年にやはり頭脳警察の新作「乱破(らっぱ)」が出た時にFM NACK5の「J-POP TALKIN’」でインタビューしたんですが、その時にも「曲は沢山あるしやりたいことは山ほどある」と言われてましたからね。
PANTAさんは「過激なロッカー」として名を轟かせてますが、音楽はもちろん絵画や文学、古典や歴史にも精通している。クラシックにも造詣が深い。でも、そういうペダンティックな面は見せませんね。
2月は4週あります。頭脳警察時代、ソロになってから、彼とかかわりの深かった人たちをゲストに50年余りの軌跡と彼の人となり、そして日本のロックの中での存在価値みたいなものを辿って行こうという4週です。
先日一週目を収録したのですが、ゲストは高校時代からの知り合いで頭脳警察の盟友、ドラマー、パーカッショニストのTOSHIさん、サポート役としてアルバム「東京オオカミ」のデイレクター、この10年のマネジメントもやっている田原章雄さん。
そういう限られた時間の中でどんなやりとりがあって、それぞれの曲がどういう背景で生まれたかは田原さんじゃないと知りようがないわけで、旧知の友人ならではの話と一番近くで接していた人ならではの話が聞けました。
PANTAさん、個人的な親近感があるんです。発売中止になった頭脳警察のファーストアルバム「Ⅰ」に入っている「戦争しか知らない子供たち」の詞を書いたのは学生時代に芝居をやっていて後に脚本家になった友人なんです。
「戦争を知らない子供たち」のパロデイみたいな歌ではありますけど、「戦争」というのはデモに明け暮れていたあの頃の学生の日々なんですね。呑気に「戦争を知らない」と言ってられるのか、という当時の時代の気分ですね。
頭脳警察は、そういう時代のヒーローだった。でも、それがパブリックイメージになって本来やりたい音楽が出来なくなってしまった。そういう葛藤の中でどこにも媚びることなく自分の正義を全うした不屈のロッカーでした。
彼のことやあの頃のことを語れる人もどんどん少なくなってます。この番組がやるべきことだろうな、と思いつつの4週になりそうです。もっと早く書こうと思ったのですが、ともかく寝る、という夜なんですね。
引っ越しは後半戦が6日。住居は移転したんですけど、仕事場に持ってゆくのが残ってます。家財道具じゃなくてCDや雑誌、DVD、諸々の資料ばっかり。自分で見ないと分からない。業者さんを呼んで持って行ってもらう、ということが出来ない。
何十年も開けてない段ボールの中のものを一つ一つ分けてゆく。もう気が遠くなりそうです(笑)。というわけで、頭脳警察の「東京オオカミ」から「絶景かな」。PANTAの遺書みたいだ、とTOSHIさんが言ってました。じゃ、お休みなさい。
FM NACK5「J-POP TALKIN’」のインタビュー。1月17日に出たアルバム「琴線歌、其の五~はやしべさとし 叙情歌を道づれに」について。この番組では4回目の登場かな。前回は2021年のアルバム「まあだだよ」の時でした。
「J-POP TALKIN’」のことは最近、触れてませんね。今年最初のゲスト、いきものがかりの時は書いたかな。その後、小山田荘平さん、ヒグチアイさんと個性的なシンガーソングライターが続いてました。
二人とも派手じゃないけどちゃんと自分の歌いたいことを形にしている。あ、今週と来週のゲスト、ヒグチアイさんは、一昨年アニメ「進撃の巨人」のテーマ「悪魔の子」が海外120か国のitune J-POPチャートで一位を記録してますから、派手か(笑)。
でも、彼女の本質は女性の気持ちを歌にすることに長けている点ですから、ヒットしたと言ってアニメソングだけで語ることは出来ませんね。特に今日発売になった5枚目のアルバム「未成線上」は、彼女の色んな面を表現した力作です。
「未成線」というのは鉄道用語で途中までで作られてその先が出来なかった線路のことなんだそうです。自分の音楽人生のこの先を歌おうとしてるアルバムでした。エキセントリックな女性のわがままといじらしさの描き方が実に巧みです。
という流れの中で林部智史さん。「泣き歌の貴公子」と呼ばれている人。今年34歳かな。まだ若いのに人生の儚さや人の出会いと別れの愛おしさを歌える数少ないシンガーですね。あんなに脆く美しい声の男性は他に見当たりません。
彼の活動はオリジナル作品と別にカバーのシリーズもあって「琴線歌」というのはその一つですね。ポップスだけじゃなく童謡や唱歌も含めた「琴線」を揺らす歌。「叙情歌」というのもそんな呼び方ですね。
先日出たのはそのシリーズの5作目。そんなに出てるんだ、と思いました。今までは「季節感」がテーマで選ばれた曲が入ってましたけど、今回のテーマは「旅路」。彼は歌を歌って行こうと決めたのが礼文島の民宿で働いている時だったんですね。
親元を離れて旅の日々を送っていた中で出会った友人に「歌手になるべきだ」と勧められて上京、コンテストやオーデイションで苦い思いをしてデビューしたという苦労人。そういう旅を経験した人だからこその選曲が光ってます。
92年のあんべ光俊さんが歌った「イーハトーヴの風」とか森高千里さんの「渡良瀬橋」とか、谷村さんの「三都物語」、さださんの「精霊流し」に混じって「椰子の実」とか「琵琶湖周遊の歌」とか、沖縄民謡の「芭蕉布」とかね。
彼が詩曲を書いたオリジナルも2曲ありました。しかも全曲がピアノと歌だけ。潔いいくらいの「歌」だけの世界。流行も時代性も超えている。それだけ「声」と「歌」に自信があるんでしょうね。
YOASOBI、ADO、新しい学校のリーダーズなどのトレンドメーカーたちの歌とは違う時間が流れている。「旅路感」に溢れてます。ポップミュージックというのはいつの時代も「旬」が面白いわけですが、それだけじゃなと思えるアルバム。
そういう曲はもう他の人に任せようかな、みたいな気になっている新春でありますって、どっか気取ってるか(笑)。というわけで林部智史さんの「イーハトーヴの風」。よく見つけてきたなあ。あんべさん、岩手出身です。じゃ、お休みなさい。
19日と21日に有楽町の東京国際フォーラムで行われたみゆきさんのライブ「歌会・Vol。1」。僕は昨日、見せて頂きました。瀬尾さんが話されていた言葉どおりになりました。なってしまいました、かな(笑)。
2020年2月26日、8本目公演の大阪フェステイバルホールを最後にコロナ禍でその後の日程がキャンセル。そのまま幻のラストツアーになってから丸4年。「帰ってきたみゆきさん」の姿に出会えました。
で、瀬尾さんの言葉ですよ。ライブは5月まで毎月行われるんですね。まだ始まったばかり。当然、内容には触れません。でも。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」の1月の特集がみゆきさんなんです。
例によって本人が出演するわけではなく、瀬尾さんによるアルバム「singles」の全曲の解説だったんですね。4週間だったんで、今日が最後かな。さっき終わりましたね。で、その中でライブについても話してくれたんです。
と言っても、収録したのが年末ぎりぎり。1月1日が一週目ですから、そんなに詳しいことを話せるわけもなく毎週、少しずつ触れる、ちょっとだけヒント、という感じでしたけどね。で、彼が言っていたとおりのライブだったんです。当たり前か(笑)。
でも、その中に「絶対、泣くよ」という言葉があったんですね。それはライブの内容についてではなく、こちらの反応も見越しているわけで、そう言われると少し身構えて見たくもなるわけですけど、その通りになってしまったわけです。
どこでそうなったかとか、何でそうなったかは内容に関係してくるので触れませんが。瀬尾さんの言葉は、番組をお聞きの方はご存じでしょうから、書いてしまいますが、「すごいよ」「一本のライブとは思えない内容」ということでした。
それ以上をお知りになりたい方はradicoでぜひ(笑)。1月は5週あるので、来週は1月17日、「singles」と同時発売になったライブアルバム「歌縁」の紹介。こちらは僕一人でやってみようと思ってます。ライブについても触れるつもりです。
というわけで、曲ですね。みゆきさんの新曲「心音」。アルバム「世界が違って見える日」の続編のように思えました。みゆきさんが違って見える曲です。じゃ、お休みなさい。
何の歌だ(笑)。でも、そういう気分でした。昨日、今日と行われている浜田さんのツアー「ON THE ROAD2023・Welcome Back to the Rock Show”Yuth in the JUKE BOX”の最終公演。僕が見たのは昨日でした。
16日の引っ越しはとりあえず済みました。まだ部屋の中はダンボールだらけ。毎日どこに何が入ってるか分からずに右往左往。中の物を確認してしかべき場所に収納できる日はまだまだ先のようです。
もう一回、ありますからね。この間移したのは生活部分だけ。カミさんは家でオンラインで日本語を教えてるんですが、これまでは家でやってたんです。僕も仕事場と両方を使ってましたけど、新しい部屋はそういう余裕がない。
今までの仕事場を二人で使うことになるわけで、どれを新しい部屋でどれを仕事場に持ってゆくかを分けないといけない。その作業が一番大変でしたね。家にあったCDやDVDも全部仕事場ですからね。そんなに入るのかが定かでない。
つまり、仕事場にそういうスペースを作らないといけないわけで、三か所の断捨離を同時に進めるというのが年末から続いてるんです。次が30日ですからね。その間に番組の収録もある。まだまだ気が抜けません。
という中での昨日でした、って前置きが長い(笑)。本来は去年の11月に行われる予定だったものが、浜田さんの体調で延期になった。その分、ファイナルというお楽しみが増えたことになるわけですが、そういう夜になりました。
どなたもそうだったでしょうけどm今回のツアーは今までの「ON THE ROAD」と全く違う愉しみ方が出来ましたね。それはもちろん、76年から86年までの曲をやるというコンセプトにあったことは言うまでもないですが。
僕もこういう仕事が専門、というか自分の社会的なあり方みたいなものが全く見えてませんでしたからね。こんなことでいいのだろうか、と思いながら、ただ、この人の曲は好きだなとか共感できるよな、と思いながら聴いていた時代。
その10年の間に「ずっと音楽の周辺で生きていきたい」と思うようになるわけで、そこに踏み切らせてくれたのが浜田省吾というアーテイストだったんですね。今回選ばれていたデビューアルバムの中の曲は僕も好きな曲でした。
そういう時代の曲を集めながら、懐古的になってない。選曲の妙でしょう。で、そういう時代の流れの中で今のテーマ性やメッセージを持った曲が選ばれている。まさか今、この年でこの曲を聞けるのか、という驚きが沢山ありました。
今日で終わりだから書いてしまいますが、初日の長野でアンコールのロックンロールメドレーを見た時は目を疑いましたからね。何が起こったんだ、という感じ。今、本気であのメドレーに取り組んだことに敬意を表したいと思いました。
若さに任せて突っ走っていた頃の曲ですよ。体力的にも自信に満ちていた頃の自分と真正面から向き合う。それが「Youth in the JUKE BOX」というテーマのダメ押しのような意味を持ってました。
単に懐かしがってるわけじゃないよ。何が変わって何が変わってないかを証明して見せる、みたいな潔さ。それが唐突に思えなかったのは、「Welcome Back to THE 60's」「70's」「80's」というファンクラブツアーをやってきたからでしょう。
その一つのハイライトが去年の「A PLACE in THE SUN・渚園」の映画化だったんじゃないでしょうか。全部が一つの流れの中にあった。二回目に大阪で見た時に、そのことに気づいて、よく出来てるなあ、と感心した覚えがあります。
というようなことはシンコーミュージックの雑誌「B・PASS ALL AREA」で書こうと思ってます。今までとは違う意味でこんなに書きたくなるツアーがあったでしょうか(笑)。発売は多分、3月の末でしょうね。
有明アリーナ、遠かったです(笑)。東京駅から路線バスに乗ったのですが、銀座四丁目、歌舞伎座、築地、勝鬨橋と観光名所みたいな場所を走ってゆくわけで地元の方と外国人観光客で満員。途中乗れない人もいました。
ダンボールに立ち向かう力も貰えましたし、ずっと会いたかった人にもばったり会えました。となりには沢田研二さんの「TOKIO」を作った有名プロデユサーもいました。彼と一緒に浜田さんの「東京」を聞く日が来るとは夢にも思えませんでした。
あの曲がジュリーの「TOKIO」へのアンチテーゼのような曲だったということは広く知られてますね。東京のど真ん中で聞いたのも忘れらせません。「東京」を。明日はみゆきさんの国際フォーラムです。じゃ、お休みなさい。
昨日はスピッツの武道館。新作アルバム「ひみつスタジオ」を携えてのアリーナツアー。武道館は7年ぶりですね。あの時のことは当時、毎日新聞に書いたのですが、記事が手元にないんでどんなことを書いたかは定かではないです。
でも、「武道館はよく似合う」「定番になるといいと思う」と書いたことは覚えてます。それまで「武道館はやらない」と言ってましたからね。昨日は、その時の話も出てました。「何でやらなかったのかな」「カッコつけてたのかな」とか、余裕でしたね。
ずっと天邪鬼バンドなところがありましたからね。「ひみつスタジオ」がそうでしたけど、そういうオルタナテイブ色が抜けた感じでした。自然体のロックバンド。武道館を味わいながら楽しんでいる。前よりもはるかに似合ってました。
というようなこともありつつ、引っ越しがカウントダウンに入ってるんです。新しく暮らすマンションと仕事場と二回に分けないといけない。マッチ箱みたいなちっぽけな家ですけど、戸建てはそれなりに収容スペースがあります。
でも、今度は駅近なわけで、その分、広さも狭くなる。今は、家でオンラインで日本語を教えてるカミさんの仕事場を作るだけの余裕がない。僕が使ってる仕事場を共有することになる。それぞれに荷物を分けないといけない。
となると仕事場の方もそれなりにスペースを作らないといけないわけで、今のところ、新しい部屋、今までの仕事場と三か所を整理する。二人の本や資料、そこに出て行った息子が子供の頃に使っていたガラクタも出てきたりする。
オフィス二か所と住居一か所を同時に片付けてるみたいな感じなんです。もともとそういうのが苦手な方、無頓着で来てしまいましたからね。途方に暮れることばかり。と言っても日にちはどんどん過ぎて行って、住まいを移すのが16日なんです。
ほんとに捨てられないものばかり。全部捨てられたらどんなにさっぱりするんだろうと思ったりしながら、もう寝ます(笑)。曲ですね。スピッツの「オバケのロックバンド」。初めて全員で歌ってます。どこで歌うのかなあと思ってたら、なるほど、でした。じゃ、お休みなさい。