スリリングな3日間でした。広島から途中下車で福山によって駅のスタバで友人と雑談、大阪は西宮の接骨院。「オン・ザ・ロード・アゲイン」に出てくるお医者さん。もう28年通ってます。まとめて色々済ませてしまいました。
広島、スピッツもライブだったんですね。29,30日。カメラマンの内藤さんが来ていると聞いて夜にホテルから電話したら、中止だったんだよと言ってました。だからと言って、偶然だねえじゃあ、飲みに行こうという年じゃないっす(笑)。
東京も色々あったみたいでカミサンが隣の家の屋根の一部が飛んで大変だったと言ってました。ほんとに肝心な時に便りにならない旦那さんです。こちらも大事に至らなくて良かったです。
で、10月になりました。もうオンエアの時間は過ぎましたけど、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の10月の特集はMr.Children。さっき一週目が終わりました。10月3日に19枚目のアルバム「重力と呼吸」が出ます。
新作アルバムを様々な角度から聞いていこうという特集なんですが、今日は発売前。アルバムの曲が一曲目の「Your Song」以外は流せない。今日は彼らの25年を辿るというテーマで一人でやりました。
例によって、というか、2010年の「SENSE」からずっとそうですけど、プロモーションのための稼働というのを彼らはしなくなってます。必要最小限の媒体にしか出ない。先入観や予断、そして”正解”を与えない。あなた自身で受け止めてほしい、という姿勢でしょう。
今回もそうです。来週からは、デビュー当時から見ているライターが今回のアルバムをどんな風に聞いたかという話です。アルバム、力強いです。バンドの充実。去年、25周年を経た上でのリスナーとの絆。一か月かけてじっくりと聞いてみようと思ってます。
というわけで、10月になりました。穏やかな月になりますように。曲ですね。MrChildren「重力と呼吸」から「Your Song」。イントロが全てを物語ってます。じゃ、おやすみなさい。
無事終わりました。台風で大丈夫なんだろうかと思いましたけど、盛会でした。交通事情で数名が欠席だったようですけど、50名弱が参加。全員がフォーク村の思い出を語るという夜になりました。
フォーク村の関係者は、10年以上前に中国新聞の日曜版で半年の連載「小説・広島フォーク村」を書いたり、拓郎さんのアマチャア時代のバンド、ダウンタウンズをモチーフにした「小説・吉田拓郎~いつも見ていた広島」での取材とかで大半が面識のある方たちなんですね。歓迎して頂きました。
今年は、広島市公文書館という図書館から「被爆70年史・あの日まで そして、あの日から~1945年8月6日」という本も出ました。その中の「広島フォーク村」という頁を書かせてもらってます。
3年前、戦後70年、つまり被爆70年に合わせて被爆というテーマで編集した特別な本。お話を頂いた時に書きましたっけ。それが出来たんですね。膨大な厚さ。3900円。しかも発行元が公文書館ですから、格調があるんです。光栄でした。
フォーク村の人たちもそのことを喜んでくれて、今回お招きいただいたということもあります。なにせ50周年ですからね。メンバーも70代になるかならないかという人たちばかり。懐かしさもひとしお。同窓会らしい、この場を愛おしむような時間でした。
思いがけなかったのは村長の伊藤明夫さんが最後にサプライズで紹介したメッセージ。町支寛二さんとロード&スカイの高橋信彦さんからもらっていることはすでに聞いてましたけど、何と拓郎さんと浜田さんからも来てました。
浜田さんは町支さんと高橋さんがいた広島フォーク村唯一の高校生バンド、グルックスの印象やフォーク村の先輩にはっぴえんどを教えてもらったことなどを交えつつ感謝の気持ちを綴ってました。
拓郎さんは、自分にとってのフォーク村が”女の子とどう付き合うかの教室””はかなく、せつなく、あやうい青春”だったという思い出。僕もそうでしたけど、みなさん思いがけなかったんでしょうね。涙をぬぐっている人もいました。
フォーク村は拓郎さんという傑出した存在があってこそではあるんですが、だからこそ他の方にもかけがえのない思い出になっている。拓郎さんにとってはそれが重荷だったり屈折していた時期もあるんでしょう。
でも、実はあの時期を誰よりも大切にしているのが拓郎さんでもあるんだろうな、と改めて思いました。ここまで来たんだからもう懐かしんでいい。アルバム「From T」は、そんな思い出の扉を開けたのかもしれません。
50周年。70代ですからね。若い参加者の方から60周年をやりましょうという声も出ました。でも、おおむね自信なさげでした。80代はねえ。東京の友人よりも会う機会の多い友人もいるんですが、僕も自信ないです(笑)。
会場が泊っているホテルなんです。市内に繰り出すという年齢でもありませんから二次会はなし。終わってから皆さんを送り出すという妙な立場になってしまいました。自分の家でもないのにね(笑)。
ホテルの玄関で「お元気で」と見送って別れる時、妙に淋しかったです。あれは経験のないものでした。でも、無事に行われて、参加できて良かったです。こんなに台風情報に釘付けだったことも初めてでした(笑)。
曲ですね。広島フォーク村のアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」から、広島商大の拓郎さんの後輩バンド、いちごの木で「れんげの唄」。被爆直後の焼け跡に咲いた花がモチーフ。彼らは今も活動してます。じゃ、おやすみなさい。
早いでしょう。もう広島のホテル。チャックインの時間はまだなんですけど、台風が来る前に来たかったんで早く来た、と言ったら部屋に入れてくれました。アーリーチェックインというやつですね。
朝、テレビをつけたらこれから九州上陸と現状を伝えてました。え、まだ来てないのと思って色々見ていたら、結構スピードが遅い。九州新幹線も今は動いてるけど、これからどうなるか分からない、というので朝ごはんも食べずにチェックアウトです。
広島から先は運休。広島までは大丈夫というわけで、博多の駅ビルでお弁当を買いこんで車内で朝食。広島まで1時間強。快適でした。広島は雨が激しくなったくらい。夕方から暴風雨警報が出てます。
今からホテルで仕事、という感じです。いや、昼寝かな(笑)。ニュースをつけっぱなしにしてるんですが、博多~広島間も間引き運転になると伝えてました。とりあえず逃げ切ったというところでしょうか。
これからのコースにかかっている地域が大事に至らないことを祈ってます。四国、直撃しそうです。じゃ、のちほど。
福岡、雨です。でもまだそんなに豪雨という感じではないです。時計は1時を回ったという時間。ライブが終わったのが9時過ぎ。ホテルに戻ったのが10時。さっきメンバーの食事会から戻りました。
でも、お店がホテルから近いところでしたし、いつものようにイベンターのワゴン車で集団移動ですから雨がどのくらい強かったかという体感はないです。なんだか強くなってきてるなあという程度でしょうか。
羽田を出た時は降ってなかったですからね。福岡についた時もそうでした。ホテルから会場まで歩いていきましたからね。全然降ってないよ、とどっか狐につままれたみたいな気分もありました。
これからなんでしょうね。台風の速度が速いんでしょうか。福岡は逸れているのかな。テレビをつけてはいるんですが、関西が非常事態になりそうという話が中心で福岡の話がなかなか出てきません。
新幹線は新大阪・広島間が運休なんだそうです。ということは博多・広島は大丈夫ということなんだろうと思ってますが。どうなるんでしょう。でも、明日の夜に東海・関東なんだとしたら福岡を出るのは遅い方が良いということなんでしょうね。考えてもしょうがないか。
で、浜田さんのファンクラブツアーは今日が初日。初日ならではのステージでした。初日ならでは、お分かりですよね。まだ段取りもこなれてない中で思いがけないシーンが出現するというならでは感が随所、というライブでした。
もちろん内容には触れません(笑)。テーマは「Wellcome to 70's」。70年代の曲をやるということは明かされてます。でも、こちらは予想をはるかにしのいでました。一言で言うと「新鮮でした」かな。お楽しみに、としか言いようがない(笑)。
というわけで、雨の福岡、明日はどうなるんでしょうか。曲ですね。明日は広島フォーク村50周年パーテイ。拓郎さんの「イメージの詩」を浜田さんバージョンで。じゃ、おやすみなさい。
矢沢さんの歌にありましたね。タイトルが出てこない。「背中越しのアイラブユー」だ。この間、東京ドームで聞いたばかり。作詞は高橋研さん。そういう心境なんですよ。明日はどっちに向かうんだ、明日はどこに上陸するんだ。
台風さん、ですよ、ふーさんと呼ぼうか。熊はぷーさん。「釣りバカ日誌」はすーさんか。違ったらごめんです。ふーさん24号接近中。しかも巨大ふーさん。巨大フーセンならライブの目玉になるでしょうけど、ふーさんはご免です。
目下沖縄に近づいてます。このままのコースだと九州から中国地方、関西を通って東日本と列島縦断。誰かと同じじゃん。明日、福岡、明後日広島、月曜日、大阪ですからね。全くもう、勘弁してよ、ですよ。
でも、考え方を変えれば、こういう機会もめったにないでしょうし、貴重な体験、ということになるんでしょうけど、そんな個人的な面白がりでは済まないのが自然災害。広島にしても関西にしても21号の傷跡をえぐるようです。
今のところ、明日は飛行機は飛びそうですけど。明後日、新幹線が動かないと大変です。三年前か、浜田さんのツアーファイナルの鹿児島の大雪を思い出します。飛行日が飛ばなかった。鹿児島で打ち上げもしないで、みんなそのまま宮崎まで世走りして帰ったことがありました。
僕はあの時もそのまま広島だったんだ。広島青少年センターの50周年だったのかな。鹿児島に残って新幹線移動。鹿児島から広島。大雪の九州。九州新幹線から山陽新幹線の山口まで車窓はずっと雪景色という珍しい移動でした。
今回は台風ですからね。電車が止まりました、飛行機が飛びません、という段階じゃない。被害の規模が違う。何事もなければいいんですが。こんな時に家を空けるのも多少は心配もありますけど、しょうがないんでしょうねえ。
カミサンも何とか復活はしてますけど、こんな時に行くわけ、と多少、皮肉っぽい口調にはなってます。それはなるよねえとは思うのですが、こういう仕事と思ってもらうしかなさそうです。
いや、仕事かな。好きなことやってるだけじゃん、という自分の中のもう一つの声も聞こえてます。ともあれ無事を祈るしかありません。というわけで、どうなるでしょうか。曲ですね。これしかない。「嵐の金曜日」。
ハウンドドッグね。最近、大友さんをテレビで見かけますけど、どっか切ない。おやすみ、ふーさん。さよならふーさん、こっちに来ないで。じゃ、おやすみなさい。