よく話しましたよ。昨日も書いたようにインタビューをするのと受けるの。打ち合わせと食事。テーマも相手もバラバラでバラエテイに富んでいて、話し甲斐がありました。だからと言って、どうということはないんですが。なかなか密度の濃い一日でした。
ゆずのインタビューは、彼らの話しが濃かったですね。去年10周年を迎えて次にどこに行くのか。彼らは「ゆずを取り戻す」といい言葉を使ってました。人気が出たり、プロジェクトが大きくなると、それに慣れてしまったり、それしか出来なくなる人が多いですけど、彼らはそうじゃないですね。
洋楽よりも邦楽に関わっている方が面白いと思えるのは、そういう変化や成長を目の当たりに出来ることでしょう。あんなに青春ぽかった二人が、こういうことを言うようになったのか、という感慨、というとオヤジっぽいですけど、そんな想いを再確認しました。
受けたインタビューというのは、拓郎さんのことでした。音楽出版社という会社が出す「CDジャーナルムック」というシリーズの2作目になるそうですけど、それの「吉田拓郎読本」という本ですね。一回目は高田渡さんが出ているそうです。
拓郎さんに関しては、自分が原稿を書く以外は、受けないようにしていたんですけど、今回は、間に入った人が、一目も二目も置かないといけないという人だったんで、お受けした次第ですが、一緒に登場する人が70年代フォーク寄りだったんで、話しに気を使いましたね。
話しながら拓郎さんという存在の特別さというんでしょうか、他に例がないというんでしょうか。いかに際だった人だったかを再確認しました。ここを見れば良いとか、ここしかないという一つの時代で語りきれない。順に追ってゆけばゆくほど、語りきれなくなる。
インタビュアーだったライターの人にも「70年代と吉田拓郎」というテーマはあったようですが、僕の中にあるのがそこだけではないんで、かなり一方的な話しにもなったりしました。70年代フォークはもちろん同時代、同世代ですし、僕も同じ風景の中にいて、共感もあるわけですけど、拓郎さんをそこに入れて一緒に語ることには、どこか逡巡があるんですよ。
僕の中の彼は、”あの時代の人”ではないですし、まさに今日を一緒に呼吸してきた人、ですから、おのずから他の人と話は違ってくると思います。最近は、70年代以降の彼の方が語るべきことが多いのではないだろうかと思ったりもしますし。どんな風にまとめるんでしょうか。
拓郎さんと渡さん。先週の坂崎さんの「J-POPスクール」の原稿にも書いたんですけど、両極端だと思うんですよ。片や、最もメジャーなフィールドでジャンルも超えて戦ってきたスーパースターで、片や、名声や地位とは無縁であり続けたザ・フォークシンガー。僕の中では、どちらも尊敬すべき存在です。
でも、両方とも同じシーンにいたということが70年代の面白さでもあるでしょうね。というような話しを毎日新聞夕刊の「70年代ノート」では書いてます。明後日の掲載は、71年当時のかまやつさんんの話しですね。彼の最初のソロアルバムは日本で初の本格的多重録音でしょう。
というようなこともありつつ、夜は、以前一緒に仕事をしていたラジオ関係者との久々の食事。彼がいなかったら、今、こんな風にしゃべる仕事はしてなかったかな、という意味での、ま、昔風に言えば恩人、でしょうか。楽しかったですよ。
というわけで、今日の曲です。かまやつさんの「四つ葉のクローバー」という名曲を。見つけると願いことが叶うんですよね。思わず入れ歯のクローバーと言ってしまいそうになりました。年は取りたくないっす(笑)。じゃ、お休みなさい。