外はしっとりとした雨です。アスファルトがうっすらと黒ずんでいる程度で、とっても細やかな感じです。深呼吸すると雨の匂いがしみこむようで気持ちよいです。もう、この冬は乾燥してますから、そんなことをしたら風邪のウイルスを吸い込んんでしまうような気がしましたからね。雨で生き返るというのはこういう夜を言うのでしょう。
あ、昨日は力んでしまって、無様なところをお見せしてしまってすみませんでした。いけませんよね、すぐに”議論”だの”発言”だのを求めるは団塊オヤジの困ったところです。何かと「みんなの意見を聞かせてくれ」とか言って粋がっている熱血上司みたいでお恥ずかしい(笑)。ま、そんな構えずに読んでみてください。
そう、「月刊カドカワ」の話しだけしてしまいましょうね。あの雑誌が成功した理由は、いくつかあると思ってるんですよ。一つは”音楽誌”とは銘打たなかったところでしょう。音楽を主として扱う文芸誌、という建前、というんでしょうか。音楽専門誌と銘打たずに、それでいて専門誌よりも音楽をきちんと扱った、という点にあったと思います。
かなりの時期まで、アーテイスト特集と作家特集は並列でしたものね。松任谷由実の”総力特集”の後に”村上龍特集”があったりしました。あれが”音楽と文学”の架け橋的なブランドイメージにもなったんだと思います。
ミュージシャンには、表現者として作家性いう新たなステージが与えられたようなステイタスも味わうことが出来たでしょうし、文芸の人達にも、文壇とは違う新しい時代を味わったんでしょうね。お互いの刺激にもなっていたんじゃないでしょうか。尾崎豊が小説を書いたりとか、その象徴的な例でしたよね。
おまけに総力特集のあのボリュームは、圧巻でした。一人60頁とか不通でしたから。音楽を読む、という点では、音楽専門誌よりも音楽寄りでした。ちょうど音楽誌が低年齢化していった時でもありました。写真中心で子供向け、という一線を越えて見せました。
ただ、限界もあったんだと思います。アーテイストの発言がほとんどモノローグ一本でしたし、複数回に登場する時のテーマや切り口の設定の難しさとか、本人への依存度が高すぎたようにも思います。初めのうちは多少、グレードが上がったように思ったアーテイストが、その依存度が負担になったりという面もあったのではないでしょうか。推測ですけど。
文芸と音楽の融合、と言う割には、作家が登場する比率はそんなに多くなかったとか。並列のマイナス面というのも後半には出てきたようにも思ってました。でも、今だからこそ、ああいう”音楽を読ませる”雑誌が望まれるようにも思うのですが。
ご意見求めます、とか、言いませんからね(笑)。もちろん、おありになる方は是非ですけど。ま、こんな風に書きながら、一種の音楽雑誌総括、になればなと思ったりしてるんで、時々、思い出したように書いてみます。
うーん、頭が痛くなってきた(笑)。ここ数日、右耳の後ろが腫れた感じでさわると痛かったんですよ。首を回すと引っ張られる感じもして。おまけに今朝、めまいもしてたんで、もし、何か出来てたりしたら嫌だなあと思って、医者に行きました。
僕は頭痛持ちなんで、時々するようにCTを撮ったんですが、「何もありませんよ、例によって」と顔見知りの先生に笑い飛ばされてしまいました。一応、感染症も調べたんですけど、無事でした。でも、病院に一時間もいたら、風邪が移りそうで、不気味です。
今日、”甲斐バンド”が品川プリンスでやってたんですよね。まあ、そんなこんなもあったし原稿もあって、行かれませんでしたけど、どうだったんでしょう。大森信和さんはなくなってしまいましたから。全アルバム紙ジャケで発売になるという再結成だそうですが、これが最後になるんでしょうね。というわけで、今日の曲。甲斐さんの曲で「RAIN」を。じゃ、お休みなさい。