一週間経ちましたね。そのままで失礼しました。書こうと思えば書けたんですけど、気分としては本のお知らせをしておきたかったんですね。そんなにあちこちに宣伝してもらえる本じゃありませんし、特定のアーテイストだけを書いたものもないんで、どんな風に読まれるのか、手探りな感じもしていて、まず、ここに来ていただける方には知っていただきたかったというところです。
まあ、そういうお知らせのページがあったりすれば良いんでしょうけど、とりあえず、ここにずっと貼り出しておくのが一番目にしていただけるかなと思った次第です。まあ、若干脳がなかったという気もしますけど(笑)。
でも、毎日しかとするのも結構、後ろめたいところもあるんですよ。やるべきことをやってないというか、行くべきところに行ってないというか。歯を磨くのを忘れたり、お風呂に入るのをはしょったりした時の収まりの悪さというのはありました。
おまけにこの一週間は色んなことがありましたしね。選挙でしょう、ラブサイケデリコのインタビューでしょう、小田実さん、それに阿久悠さんの死でしょう。それぞれが時代の変わり目で、色々考えさせられることもありましたし。その都度、書こうかなあと思ったりしてました。何だか言い訳がましいですね(笑)。
でも、大きかったは、阿久さんかな。来週の毎日新聞に追悼原稿を書くんですが、連日、新聞やテレビの報道を見ていて、改めて、あの人の存在について考えてます。「日本の心を歌った」という論調が多いですけど、それだけじゃなかったんだろうなと思ったりしてます。
さっき、坂崎幸之助さんが、「K’s Transmission」の中で沢田研二さんの「サムライ」をかけてましたけど、あの曲だって、「片手にピストル」ですからね。単純に「日本の心」などとはくくれません。70年代に彼が書いた詞は、ほんとにバタ臭いです。もちろん、「北の宿から」みたいな曲もありますけどね。
僕が強烈に印象づけられて、大好きだったのは、鹿内タカシさんの「本牧メルヘン」という曲だったんですよ。72年かな。”本牧で死んだ子はかもめになったよ”という歌い出しの曲で、”ジョニーもスミスも泣くのを忘れ、海鳴りに向かって歌っていたよ”というシーンが大好きでした。
新聞の「代表曲」には入ってない曲ですけどね。ジョニーもスミスも、というのは本牧の米兵ですよね。五木寛之さんの小説「海を見ていたジョニー」の音楽版でしょうか。GSにもフォークにもない詞でした。
そうなんですよね。阿久さんの功績はみなさんが書かれてますけど、70年代という時代の中で、彼が何を戦い抜いたのかはあまり触れられていない気がして、そういうことを書こうかなと思ってます。巨人というのはああいう存在を言うんだと思います。
小田実さんも巨人でしたけど。いよいよ、団塊の世代がちゃんとしないといけない場面が来たんだと思いますよ。団塊に影響を与えた方達がいなくなって、彼らの意志やバトンを受け次ぐ時代が来てます。
というわけで、明日は「J-POPマガジン」。Micro of Deftechの後編。終わってから、ひたちなかの「ロックインJAPAN」。陽水さんが出るんですよ。どんなステージをするんでしょうか。じゃ、最後の曲。やっぱりこれです。鹿内タカシさん「本牧メルヘン」。お休みなさい。