そう、「宙船」ですよ。昨日のコメントを拝見していて、少し説明を加えた方が良いかなと思ったので、これにしました。これだけ切り捨てられていて、にも関わらず、切り捨てる人たちが支持されているという日本の構造、ということについての補足です。
あの歌は、「地上の星」の続編みたいな性格でしょうし、切り捨てられて輝けなくなっている「地上の星」たちへのエールなんだと思います。リストラもそうでしょうし、医療費の負担増もそうです。老人やハンデイを持った人たちを厄介払いするような風潮とでも言いましょうか。
それでいて、そういう政治を進めている人たちは支持が高いというのはどういうことだろう。特に、若い層でその傾向が強いデータは色んなところで紹介されています。じゃ、そういう彼らの生活はどうかというと、「下流社会」という言葉に象徴されるんじゃないでしょうか。
切り捨てられる側の人たちが、自分を切り捨てようとしている人を支持している。彼らはこの詞をどう聞くのだろうと思った、ということでした。みゆきさんが敢えてTOKIOにこの曲を提供したのもそういうことを言いたかったのかなと思ったりしたわけです。
ま、自分の運命は自分で切り開けという意味でしょうけど。でも、それにしてもこの歌詞はすごいです。「ファイト!」の”戦う君の詩を 戦わないヤツらが笑うだろう”というのもすごかったですけどね。あれは80年代前半でした。”軽薄短小”と呼ばれたバブル直前の日本で、そこに収まりきらない一匹狼たちへのエールだったと思います。でも、「宙船」のあの一節はもっとシリアスと言って良いかもしれません。
で、今日の「J-POPマガジン」は、吉井さんでした。イエモンは”情念系”という言葉がありました。日本的な土着の情緒、どこかおどろおどろしいような隠微な美意識。隠花植物的な妖しさはイエモンの独壇場でした。日本のロック、という意味で、彼らはパイオニアでしょう。
この間の続きじゃないですけど、10年前、イエモンの「花吹雪」という曲を聴いて、東京キッドブラザースを思い出したことがありました。キッドがニューヨークで成功した「黄金バット」の中に「花・雪・風」という曲があって、ステージで花吹雪というのは彼らのステージにつきものでした。あの曲は下田逸郎作曲だったんですが、下田逸郎と吉井和哉の対談とか読んでみたいなあと今日、思いました。
「地球音楽ライブラリー」のみゆきさんは終わりました。この後に同じシリーズの拓郎さんのものも改訂されるんでその原稿が来週ですね。23日は大宮で拓郎さんのツアーの初日が始まります。「つま恋」から丸一ヶ月。早いなあという実感です。
ということで今日最後の曲。通信販売で「下田逸郎&東由多加作品集」というCDを買いました。その中から、と言ってもご存じない方の方が多いでしょうね。そうだ、YUI音楽工房の社長さん、今もフォーライフの社長・後藤豊さんは、かつて”由多加”と書いてましたけど、あれは、早稲田の先輩だった東由多加さんをリスペクトして、だったと言います。
で、何にしようか(笑)。流れから言うと、イエモンかな。ちょうど10年前のアルバム「SICKS」の中の曲です。「花吹雪」。じゃ、お休みなさい。夢の中で桜が舞うでしょう。