今日は大雨。さすがの「出たがりトミー」(お姉ちゃん猫ですよ)も神妙です。でも、いったんは飛び出していったんですよ。あわてて戻ってきましたけど。
で、今日のテーマは「良い子」なんていうと、教育問題シンポジウムみたいですけど。そんなに大げさじゃないです。電車の中で見たんですよ。ある男の子と母親の光景を。
となりの席に、牛乳瓶の底のようなめがねをした男の子が座りました。小学校一二年でしょうか。で、彼が座ると同時に、前に立っていた女性が、事務的に小刷子のようなものを彼に差し出しました。彼は、それを当たり前のように受け取り、広げたんですね。
それは単語ノートのようなものでした。漢字の書き取りようなのかな。お母さんはそんな様子を満足げに見てました。僕の隣が少し空いていたんで、身体を詰めて入れるようにしたら、彼女は「どうも」も言わずに座って、こちらに背を向けるように、その子に話しかけて単語帳の説明をしてました。
どうでしょうねえ。中には「中の良い親子の美しい光景」と思う人もいるんでしょうねえ。でも、僕はどうにもこそばゆいと言うか、釈然としないものが残ってしまったんですよ。
確かに、あの子の将来の夢が学者になることだったり、宇宙パイロットになることで、そのために今から猛勉強しているんだとしたら、それは夢の向かう美談ということになるのかもしれません。でも、そういうものなのかなあと思うんですよ。
親が考える良い子、と子供がやりたいことというのは時には別々のこともあるでしょうし、正反対のこともあったりします。というよりそれが健全なんじゃないかなと思ったりします。
明日の「J-POPマガジン」のゲスト、レミオの藤巻くんが、「群れから離れないと出来ないことがある」と言ってました。きっとそういうことだと思いますね。彼は国立系の大学ですから、きっと成績は良かったのでしょう。でも、親の期待を裏切って音楽の道に進んだというような経緯もあるかもしれません。
バンドをやったりしている子はたいてい、どこかで世の中や学校、あるいは家庭の中の価値観とのギャップを感じたことがあるんだと思います。それがばねになったり問題意識になったり、その人の生き方になったりするんじゃないでしょうか。もし、あの子が、勉強に疑問を持ったとき、あのお母さんはどうするんだろう。やっぱり疑問から始まるんじゃないかと思います。
70年代に寺山修司さんという詩人がいました。彼は「書を捨てよ街に出よう」と「家出のすすめ」という本も書きました。「母を殺せ」というメッセージもありました。もちろん実際に殺すことではないですよ。自分の心の中にある母親への依存心を捨てろ、という意味です。今はほんとに殺人になってしまいますね。そういう意味では想像力が枯渇しているんでしょう。
小さいころに反抗的だった子の方が大人になって、親思いになるという説もあります。あの子はどうなるんだろうなあ。
で、話は猫と犬です。飼い主が決めた「良い子」であろうとするのが犬で、「自分の思う通り」にしたがるのが猫、という気もするんですが。どうでしょうか。この話はまた今度。明日の放送ではそんな話はしませんけどね(笑)。浜田省吾ファンクラブの会報が番組の撮影に来てくれます。ではおやすみ。