コブクロの武道館、スポーツ紙には大きく載ってましたね。ストリートから初めて8年。涙の武道館。格好の題材だったんでしょう。でも、ほんとに良いライブでした。もともとトークのうまさはダントツに面白かったんですが、曲の方がそれに追いついたということでしょう。だって、関西は大阪城ホール二日間で、東京は渋谷公会堂だったんですよ。文字通り桁違いでした。次回は武道館三日だそうです。
で、子袋です。カーネーションはオフクロで、山手線の駅は池袋、冬にするのは手袋って、つまんないね、これ。渋谷の麗郷がおいしいですよね。246と道玄坂の間のレンガ造りのお城のようなお店ですが。
昔は井の頭線添いの汚い店だったんですよ。今の”東京ホルモン”の辺りかな。焼け跡の渋谷という雰囲気が残っている、屋台に毛が生えたような店でした。今の場所に移ったのはいつだろう、70年代に入ってじゃないかな。公園通りとパルコや西武百貨店が出来てからでしょう。それまでの渋谷にはあんまり文化的な匂いがしませんでした。
僕は新宿派でしたからね。だって、新宿のタウン誌「プレイマップ」を作ってたんですから。69年創刊でした。西口フォークの年です。タウン誌のはしりと言われてます。街の情報誌としては画期的だったなと思います。あの五木寛之さんも小説の中で登場させてました。「ぴあ」の社長は、「プレイマップ」を見て「ぴあ」を思いついたとどこかで話してた記憶があります。
編集長は「話の特集」という雑誌にいた人だったんですよ。その前は「内外タイムス」という新聞の記者で、無頼派文学青年という印象でした。「話の特集」を主宰していた矢崎泰久さんという有名な編集者も「内外タイムス」の出身で、その後輩だった人でした。
新宿は面白かったですね。映画や演劇、音楽や政治、色んなジャンルの人が集まっていて、サブカルのメッカでした。その最たる場所が「ゴールデン街」だったんですけどね。
先日、20年ぶりにゴールデン街に行きました。客層も店も若返っていて良い感じでした。一時全く足を踏み入れなくなったのは、70年当時を引きずっている感じが嫌だったんで、今は、代替わりした感じで、好感を持てました。
そうだ、その頃の話を「集英社新書」で書くという話があって、もう5,6年経ってしまってます。ひとえに僕の不徳の致すところですが、編集長の鈴木力さんごめんなさい。改めて連絡させて頂きます。うーん、話が思いがけないところに来たぞ。何だか懺悔録みたいになりそうで、今日はここまでかな(笑)。