・驚きました。朝起きた時に、かみさんが呆然としたような表情で教えてくれました。僕も彼女もお会いしたこともありませんが、まさかという感じでした。きっとどなたもそうなんでしょうね、それだけ親しまれた存在だったんでしょう。
・かみさんは若い頃、スポーツライターをしていたことがあって、野球のことを書いた本もあるんですね。僕も野球好きですし、楽天が優勝した時は二人で感動したということもあって、星野さんはどこか特別なイメージがありました。
・僕は中日ファンでも阪神ファンでもありませんから、選手時代の思い入れはそんなにないんですが、引退試合は見てるんです。ナゴヤ球場。親父と息子と三人で見に行きました。場内アナウンスが小田さんが来てるということを告げていて、そういう付き合いなんだ、と思ったことがありました。オフコースが活動休止中だったんじゃないかな。
・引退試合は親父が行くと言ったからなんですね。彼は戦後すぐに創刊された野球雑誌の編集者で途中から新聞の野球記者になりました。ずっと担当していたのが中日ドラゴンズで、星野さんは、その頃からの付き合いだったみたいです。
・親父は中日と広島カープに肩入れしていて、最後までアンチ巨人でした。長い野球記者生活で最後まで巨人担当にならなかった。ならなかったのか、なれなかったのかは分かりませんが、そこで馬があったんでしょう。引退試合はどうしても行く、というので付き添いで行ったんだと思います。
・同世代ですよ。彼は明治大学。学生時代から有名な選手でした。その頃、明大は、学費値上げ反対闘争とか、学生運動が盛んな大学で、しょっちゅうストライキをやってたんですよ。体育会の学生とは衝突することも多かったんですね。
・体育会の学生が、殴り込んだという噂が流れたりね。彼もその中にいたんじゃないでしょうか。その頃から熱血漢というイメージがありましたね。選手・監督になってからの「燃える男」「闘将」という有り様の若かりし頃の一つの型だったのかもしれません。どこか懐かしい古い話です。
・熱っぽい人が少なくなってる時代ですし、寂しくなるなあという気もします。プロ野球コミッショナーになるべき人でしたよね。肩書きじゃなくて、心から野球を愛している。ああいう人が上に立つことで変わることは多いでしょうし、いつかそうなるんだろうと思ってました。
・それにしても突然ですね。色んな事が突然起きる。思いもかけない人がなくなってしまう。そういうことを意識しながら暮らして行く。ああいう存在感のある人は、直接関わりがない人にも色んな感慨をもたらします。ささやかですがご冥福をお祈りします。
・曲ですね。現役を引退したのは82年か。オフコース武道館10日間の後ですね。去って行った人、いなくなってしまった人への感謝の気持ち。オフコースの「言葉にできない」を。じゃ、お休みなさい。