・明日、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の「70年代ノート」の最終週の収録なんです。今日は台本日。2年ごとに一週で区切ってきましたから78年と79年。思い切り回顧モードになってました。
・年のせいもあるんでしょうねえ。回顧モードになった時に色んな事を思い出します。普段、出来るだけそういうモードにならないようにしているせいもあるんでしょう。70年代、色んな事があったなあという感慨ばっかりです。
・78年、79年。ロックが急にメジャーになった二年。矢沢さんが「時間よ止まれ」や「成り上がり」を出して長者番付一位になって、後楽園球場でライブをやった年が78年。僕は放送作家から足を洗って、自販機本のエロ本屋さんが発行した「タイフーン」という雑誌の編集長をやった年。音楽のことはともかくとして、この話しはあまり思い出したくない(笑)。
・一番空回りしていた時期というんでしょうね。でも、そういう遠回りが今に繋がっていると思うことも出来ますし。それもこれも音楽があったからなんでしょうね。その頃の人間関係で今も続いている人はほぼ居ませんけど、音楽だけは繋がってます。
・79年は拓郎さんの篠島ですし。甲斐バンドに出会った年。甲斐バンドに出会った年か。出会っているのはその前でしょう。四谷にあった文化放送の前の飲み屋だったような気もするんですが、その辺はもう覚えてない。
・「近代麻雀」という雑誌で甲斐さんのインタビューをしたのが79年じゃなかったかなあ。「ヒーロー」は出てましたからね。亀和田さんと出会ったのもその頃か。思い出しました。シンコーミュージックが「Jam」という雑誌を出して、その創刊パーテイで会ったんだ。
・彼はまだ「劇画アリス」の編集長をしていて「劇画界のジュリー」と自分で言ってたんだ。自分でですよ(笑)。そこから意気投合して、甲斐バンド仲間になったんだ。そんな仲間があったわけじゃないですけど、周辺で面白がっていたんですね。
・ラジオ番組ではそんな話が出来ませんからね。あれこれ思い出して懐かしくなってました。そう、79年だ。甲斐さんの「サウンドストリート」に拓郎さんがゲストに出て「篠島」の話をしたんだ。その中で僕の名前が出て、それを聞いていた友人の編集者が「お前はすごい」と舞い上がってました(笑)。彼もなくなりました。
・79年の年末ですよ。みんな70年代をどう終えて良いか分からなかった。あんなに色んなことがあって必死で仕事をしていた10年が終わってしまうことが信じられなかった。大晦日に拓郎さんやダウンタウンブギウギバンドが「もう古い歌は歌わない」と宣言したのもそうでしょう。
・甲斐バンドの初の武道館二日間で甲斐さんが「79年のドラマは全て終わりました。俺たちは80年代に行きます」と言った、あの台詞が全てを象徴してましたね。うーん、懐かしい。というか何だか愛おしい。年のせいでしょう(笑)。
・というわけで、「LEGEND FORUM」の「70年代ノート」は次回で終了です。明日、台風、大丈夫なのかな。投票もね。暗黒の歴史の始まりの日にならないことを。曲ですね。甲斐バンド「100万ドルナイト」を。路上の泣き声は今も聞こえます。じゃ、お休みなさい。