そういう小説があるんです。毎日新聞の朝刊に連載されている小説「おもかげ」。今日は220回でした。ご存じないでしょうね。毎日を購読されている方でもお読みになってないという方が多いかもしれません。これが良いんですよねえ。
という僕も新聞小説はほとんど読んだことがなかったんです。一度だけあるか。渡辺淳一さんの「失楽園」、日経新聞でしたっけ。ずいぶん前ですよ。90年代初めか。あれは話題にもなりましたし、読みましたね。
でも、日経新聞を家で取ったことはありませんから、どこか他で読んでたんでしょう。「毎日」は原稿も書いてますし、宅配してもらってますからね。日課になってます。そういうのは初めてです。
始まって何週間くらいの時でしょうか、なにげなく読んだ時に、浅田さんの文章マジックにはまったというのがありますね。文章がうまい。小説は普段、ほとんど読みませんけど、浅田さんは、うまいです。ため息がでるほどうまい。
重松さんもそういう達人ですけど、彼は長編派というんでしょうか。小説の流れのうまさ。オチの付け方やデイテールの巧みさ。映画で言うと山田洋次さんみたいな感じかな。さだまさしさんでもいいか。
泣かせ処のツボをしってる。計算づくでこれでもか、という感じ。浅田さんももちろん計算づくなんでしょうけど、文章に無駄がない。他の作家に無駄があるということじゃないですよ。
新聞小説は長さが決まってますからね。しかも短い。その中でどうやってエピソードをまとめて、読者を次の回に引っ張るか。なのに文体、口調に温度感がある。技でしょうね。今日の回なんか、涙ぐんでしまいました。
退社の日に倒れて入院、生死をさまよっている60代後半のサラリーマンが、幻覚のような夢を見て、自分の過去に立ち会うという話。彼が、戦後の焼け跡に置き去りにされた捨て子。この何日かは、地下鉄の中に置き去りにされた生まれたばかりの自分に会う、という回でした。
捨てた親と捨てられた子。みなしごの成長と愛情。テーマは今に通じてるんですが、そろそろ終わりなんでしょうね。単行本が楽しみ、という小説です。というわけで、昨日と今日、新聞つながりでした(笑)。
曲ですね。カルメンマキさん、「時には母のない子のように」。「おもかげ」の主人公は、時には、じゃないです。お休みなさい。