いやあ、すさまじい週末になりました。一時はどうなるかと思ったんですが、何とか終わりました。やっとゆっくり出来そうです。昨日、今日と収録が重なってしまって、その原稿も書かなくてはいけなくなって、連日、2時でした。
最近、そういうのはなかったんです。徹夜をしない、というのはかなり前からそうだったんですけど、睡眠もちゃんと取る、7時間は寝るようにはしてたんです。そこだけ気を使うという生活だったんですが、昨日、一昨日はそうは行かなかったですね。
月曜日に歯のブジッリの抜本的な治療をすることになって、最悪の場合、一週間くらいは歯がない状態になるかもしれない。その間、しゃべれませんよ、と言われてしまって、収録をまとめざるを得なかった。ライブもありましたし、全部しわ寄せになってるわけです。
というような話を書こうとしたわけじゃないんです(笑)。あがた森魚さんのアルバムだ。1976年1月発売の二枚組。あのアルバムですよ。「J-POP LEGEND FORUM」の二ヶ月連続拓郎さん特集の後、3月をどうするか。「名盤月間」をやろうと思ったわけです。
いつもは4週なんですけど、3月はFM COCOLOの特番がある。一週お休み。3週になったんですね。だったら、一ヶ月単位はあるんだけど、毎週違う話にしようと思って、プロデユーサーの三浦光紀さんに来て頂くことにしました。
ベルウッド・レーベルの主催者、その後、フィリップスでニューモーニングというレーベルを作られた方。彼が手がけた名盤、沢山ありますからね。まず、はちみつぱいの「センチメンタル通り」とあがたさんの「日本少年」を一週づつ取り上げて収録してきました。
両方とも、名盤なのになかなか取り上げられない。あんまり評価されないのは、なぜだろう、という気持ちがずっとあったアルバムだったんですよ。やっと、その時が来た、という感じでありました。やるべきことをやってなかった、みたいな後ろめたさが少し消えました。
「日本少年」。ジパングボーイ、というタイトルもついてます。76年1月ですから、作ったのは75年。二枚組ですよ。オリジナルの2枚組。たぶん、日本で最初じゃないでしょうか。ライブアルバムはありましたよ。沢田研二さんは、その前に3枚組ライブアルバムとか出してましたからね。
でも、オリジナルは、あったかなあ、という感じなんですよ。拓郎さんの「ROLLING30」は、78年ですからね。洋楽でもデイランの「ブロンド・オン・ブロンド」とかビートルズの「ホワイトアルバム」くらいでしょう。
「日本少年」は、単に二枚組というだけじゃない。トータルアルバム、コンセプトアルバムの傑作。函館で暮らす少年が、七つの海の航海を夢見て、それを一枚のアルバムの中で実行する。日本から東南アジア、中南米やヨーロッパを音楽で旅して行く。
その間に色んな歴史ドラマやファンタジーを曲が綴って行く。民族音楽やアメリカンポップス。ワールドミュージックなどと構えずにイマジネーションが展開して行く。あがたさんの異才ぶりがいかんなく発揮されているアルバムです。
プロデユーサーは細野晴臣さんと矢野誠さん。ミュージシャンは鈴木慶一さんとムーンライダーズ、そこに達郎さんや大貫妙子さん、吉田美奈子さんとか、早々たる面々が加わっている。今聴いても聴き応え十分。むしろ、今の方がその質の高さが分かる。
というような収録を今日、行ってました。そして、昨日も今日もライブもありました。大丈夫かな、という際どい中で、無事終了。まあ、歯がどうなるか、という問題もあるんですが、とりあえずハワイは行けそうです。いや、油断は禁物か(笑)。
曲ですね・「日本少年」は、2枚組が組曲のような作りでしたからね。この曲だけ、という選曲がむつかしい。「函館ハーバーセンチメント」という曲を。でも、他の曲はもっとトロピカル。細野晴臣さんの名盤「泰安洋行」は、「日本少年」あってこそ。
三浦さんは、あがたさんの「日本少年」がなかったら、矢野顕子さんの76年のデビューアルバム「JAPANESE GIRL」もなかっただろう、と言ってました。何ともおそるべし、あがた森魚さん(笑)。じゃ、お休みなさい。