行ってたわけじゃありませんよ、ちゃんと原稿を書いてました(笑)。でも、某S新聞から電話がかかってきて、「この一年間の彼女たちをどう思いますか」と聞かれて、思っていたことを話したりしてました。月曜日に一度かかってきて、今日は、”総選挙”の会場から更に聞きたい、ということでした。
そう言えば、達郎さんが大宮のステージで、「ぴあ」の100の質問で「AKB48」をどう思いますか、という質問があった、という話をしてましたね。彼は「私には必要が無い音楽」と答えたと言ってたかな。「縁がない」だったかな。そういう風に言えば、僕にも縁はないですけど、ジャーナリスト、という意味で、思うことはあったりするんですよ。ま、そんな話をしていたんですが。
確かに、客観的に見ていて、前例がないなとか、新しい発想だなと思うことはいくつかあったりもするんですよ。例えば、曲で言えば、去年出た「桜の木になろう」とか「風は吹いている」とかは、従来のアイドルの歌を越えた社会性や、大げさに言えばメッセージもありましたからね。
アイドルでありながら、あんな風にコンセプトが明快な曲というのも他に見当たらない気もしますし。去年の震災の後に彼女たちがやっていた「誰かのために」というキャンペーンは、自分のことしか関心が無いといわれていた若い世代に、何かのきっかけになったかもしれないな、と思ったり。
「桜の木になろう」のことは前にも書いた気がしますけどね。桜の”花”や”花びら”ではなく、”木”という決して華やかでも感傷的でもない対象を選んでいるという点は、興味深かったですしね。これも大げさに言えば、教育的な歌に聞こえたんですよ。
そういう色んなテーマ性に、芸能界的な仕掛けも加わって、あれだけの人気になってる、それが去年一年間だったと思うんですね。それなりに時代とリンクした、というのかな。そういう意味じゃ、あんなもの色物とか、際物、みたいな切り捨て方はしてないかな。そういう切り捨て方は出来なくなった、というのがこの一年だったんじゃないかなと思ったりしてます。
で、総選挙、ねえ(笑)。良いところに目を付けたなあ、というのが率直な感想ですね。メンバー間の機会均等というのもあるでしょう。誰か少数の思惑でグループが動いているのではないか、という不透明さをなくすとかあったんでしょうね。見え方としてでしょうけど。
それと、ファンに、自分たちが選ぶ、という”谷町意識”を持たせるという効果もあるでしょうね。そして、メンバーにとっては、票を獲得するためにはそれなりの運動もしないといけないでしょうし。人気に安住させないという刺激にもなるんでしょう。
まあ、10代の女の子に酷だ、という声もあるようですが。でも、そういうことで鍛えられるという面の方が大きいんじゃないでしょうか。と言って、誰が一位になるか、ということにはさほど関心はないですけど。つまり、誰が一位になっても成り立つ、ということが何よりもすごいことなんだと思うんですね。
だいたい、メインの人がスター、というのが常識でしょ。その人の人気が中心ですよね。でも、誰がメインになっても成り立つわけですから、これは、グループという集団のあり方を覆した、と言って良いんじゃないでしょうか。集団自体がブランドになってしまった。
そういう時代でもあるのかな、とか。目立ちすぎは嫌がられるとか、帰属意識の強い世代にとっては、その方が安心するのかなとか。メインのヴォーカリストの歌唱力がほとんど問われないというのも、すごいことでしょう。それで良いのか、というのはまた別の問題ですけど。
やっぱり音楽の基本は、誰が何を歌っていて、ということでしょうから、好きか嫌いかという次元にはいませんけどね。それよりも、きちんと歌えて曲を書ける新しい人を育てる方が急務だとも思ってますよ。ただ、話題は派手な方が面白いという世界でもあるわけで、ということかな。何でこんなに真剣に書いてるんだろう(笑)。
ということで、ってどういうことだ(笑)。こんな話も書いてみました、かな(笑)。曲だ。時期ははずれましたけど「桜の木になろう」を。この曲が”桜ソング”のスタンダードにはなると思ってます。そう、彼女達は、桜ソング、多いんだ。あれはきっと秋元さんの”こうあって欲しい”という”少女文化願望”なんでしょうね。明日の新聞で不愉快になる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなに目くじら立てるほどのことでもないです(笑)。じゃ、お休みなさい。